さよならテレビ
東海テレビ制作の劇場版「さよならテレビ」を見てきた。
結論から言えば、さよならテレビというよりも、「がんばれテレビ、やっぱりテレビ」と言ったところだろうか。今回の映画のテーマは「テレビの報道のあり方」「今のテレビ局ってどうなっているの?」ということが企画の発端なのだが、映画のラストあたりに今回の取材対象であった男性記者の発言
「きれいにまとまってるけど、本当にそれでいいの?結局、テレビ的なまとめ方になっていて、現状を伝えているだけになっているけど、もっとできるんじゃないのか」という問いかけがある。
それを受けて、その映画のラストは「編集」のネタバラシ的な「回収」があり、テレビ的編集の妙を見せつけられた。
僕はそれを見て、さすがだなと感心した反面、作品として興醒めしてしまった。
せっかく「さよならテレビ」と大見得をきったのだから、もっと攻めた演出をしてほしかった。
映画の途中であった、「共謀罪」取材について。
あそこはまさに現場と組織の攻防というテレビ報道のあり方を伝える最良の見せ場だというのに、一記者の葛藤のみ。最終的に「仕方ないか」で終わってしまっているし、新人記者の青年の
「記者としての難しさ」や「失敗した時の先輩からの叱責」
などからくる新人の葛藤をもっと深堀りできるはずなのにそれがなかった。それどころか、先輩に金を無心するというチンケな演出までしている。
そんなことよりも、その青年の
「報道記者」なのに「制作会社からの契約社員」
という働き方にもっとスポットを当てるべきだったと思うし、
映画の中で、働き方改革の一環として「36協定」を組織として遵守するために、残業をしないよう通達を一方的にされる現場の困惑の様子など、もっと掘り下げられるネタがあったのにそれをしなかったのは、テレビ局特有の「守り」の姿勢があったからではなかろうかと推察する。
「ヤクザと憲法」に代表されるようにこれまで、挑戦的なドキュメンタリーを撮ってきた東海テレビとしては、身内に甘いと言われるテレビ独特の「甘さ」が露呈した結果となってしまったのは残念でならない。
そういう意味で「やっぱりテレビ」なのかもしれない。
しかしながら、一地方局が、こうしたテーマでアウトプットすることは、とても大事なことで、これからもどんどん東海テレビはもちろん、他の地方テレビ局も挑戦的な作品を作ってほしいと思う。
それが、ドキュメンタリーであれ、ドラマであれ、バラエテイであれ、地方局は攻めていかないといけない。キー局にはない、面白さが地方局にはあるはず。
僕が批評論評する時は、否定だけで終えないように心掛けている。
この映画で言えば、これをみた現場の人間が「よっしゃ!」とやる気をだしてくれることを望んでいるし、特に20代30代の制作マンが「未来のテレビ」をつくってくれることを望んでいるし、当然、僕のような20代30代の「若手作家」の存在が、「未来のテレビ」を作っていけると思っている。
そのためには、(ここからは自戒を込めて言う)臆することなく、企画をいろんな人に叩きつけてほしい。たとえ企画書を破り捨てられても。
コンプライアンスとか自主規制が厳しい世の中、マスゴミと罵られるテレビ。そんな周りの言葉はある意味「無視」していい。
視聴率というものに囚われず、面白いと思うものを作り続けて欲しい。
僕は、さよならテレビ、したくないのだ。