ちょっとずれるもっとずれる
こんにちは、びすです。最近は日々課題に追われていて久々にレポート以外の文章を連ねて文字を書く楽しみを思い出しました。
最近は1年周期でやってくる群発頭痛の群発期真っ最中です。3月の終わりから1日2回やってくる発作と闘っています。そんな中、大学生活集大成の実習が始まってしましました。実習自体も身体的・精神的にハードなのに拍車をかけるよう日々体調は悪化し、ずっと心待ちにしていた実習にまともに行けなくなってしまいました。
身体的につらいのはもちろんだけど、何より精神的につらい。早退してやっとの思いで家路につき、今日も頑張り切れなかったというふがいなさとやりきれなさをいっぱいに抱えて眠りについて起きたら一日が終わりかけ、課題をこなしまた次の朝を迎えて痛みと闘いながら実習に向かう毎日を繰り返す日々。自分の好きなことも学びたいことに割く時間と体力なんてないです。みんなが頑張っている時間に頑張れない自分へのいら立ちや悲しさや、自分の求めているレベルまで達することが出来ない不完全燃焼さに苦しんでいます。
悩んでいてもどうにもならないし、自分でどうにかできる問題じゃないのだから、やれるときに頑張れたらそれで充分。何年も付き合ってきているからわかっているのだけど、自分への劣等感、現実問題として挙がる大学のこと、将来のこと、いろんなことを考えるとどうしてもそれが出来なくて4月はずっと生きるのが苦しかったです。
4月の終わり、症状が悪化し実習がままならなくなったタイミングで大学の先生と面談した際に、「このままだと卒業できない」「こんな感じだと就職するのは難しいと思う」と言われました。自分でもわかっていたけれど、実際に言われると精神的に来るものがありました。真面目に生きてきた方で、努力して実力と知識をつければできないことはない、と思っていたので、まさか自分が当たり前のことすらできなくなるなんて思わなかったです。
私はずっと努力して自分の目指す理想像に近づくことだけが正解だと思っていました。でも実際社会に出るとなると、理想を追うだけではどうにもならないことがあることを知りました。体調、金銭面、キャパ、性格…。最低条件として「生きていく」ことが必要だから、死にそうになったり、死にたいと思いながら生きるようになるまでして生きること(時にはそういう時期も必要なのだと思うが)は正しくはないのでしょう。それをわかっていても受け入れるまでにまだ時間はかかりそうです。
正直今も自分の将来に対する不安ばかりで、右往左往しています。妥協というと聞こえが悪いですが、私たちは明日もこれからも生きなければならなくて、そのためには必要なことなんだと思います。環境は選ばないといけないかもしれないけど、どんな場所でも自分の納得できるくらい頑張ること、そしてそんな自分を受け入れて認めてあげることが今の私に必要なんだと思います。
5月は精神的にしんどくなる月です。
頑張るのは得意だけど休むのは苦手な皆さん、私と一緒に自分を責めないような努力もして必要以上に自分の首を絞めず、生きていきましょう。