2024.11.27:多様化と主体性

長年我慢してきたバイトを辞めようと思う。
授業時間になっていきなり休みにされたり、当日に連絡なしに授業を入れられたり、タメ語(わかりましたを「り」で返すような)で連絡が来たり、具体的に嫌なことを挙げたらキリがないのだけど、1番の理由は、主体性のなさだ。

6年間くらい同じ子の家庭教師をしている。
その子自体は勉強は不得手で出来ればしたくない。 家庭教師は親に言われてしているようだ。

冒頭にもあげたが、その子の1番の問題点は、主体性がなくて、意志がないことだ。
授業は基本ノーリアクションだ。
返事どころか相槌すらない。オンラインでしているので、返事がないと音声が聞こえてないのか、リアクションがないのかわからない。心配になって「聞こえてる?」と聞くと「うん」と返ってくる。ほぼ無反応のことが多い。それならずっと分からないと言われたい。これで問題が解けているのであればいいが、ほぼ理解できていない。

そして、解けない問題があるときは、こちらが聞くまで何もせずに座っている。「解けてる?」と聞いて初めて「分からない」と言われる。問題を解き始めた後ならいいが、30分経過して言われると、流石に腹が立つ。先に言えよ!わからないと言って欲しい。そうすれば教えることができるし、難易度の下がった別の問題を解いてもらうこともできる。

分からかったらすぐ聞くことや、質問は恥ずかしいことじゃないと6年近く言い続けているので、そろそろ諦めている。

こんな感じだけど、本人は家庭教師が嫌なわけではないらしい。向上心はないが、辞める気もないらしい。私からしたらその心理が理解できない。

人の数だけ性格があり、価値観がある。だから人格を否定することだけはしないというのがモットーだ。理解ができないだけで、否定されるのは違うと思う。

その上で、私が最も関わりたくないのは、意志がない人だ。

言われたからする、みんながしているからする、聞かれたから答える。
意志がないということは、相手に対して、責任を を放棄しているのと同義だ。その無責任さが許せない。そういう人といると、人生を無駄にしている感覚になる。時間やお金は有限で、どんな形であれ、相手が自分に割いてくれていることを忘れてはならない。


授業料は安いものではない。そのお金は親が日々寿命を削って得たものだ。時間だって有限ではない。私も予定を急変させられるのは腹が立つ。相手に対してイライラする時間も無駄だ。お金をもらえたとしても、自分にとってマイナスになる時間を過ごしたくない。与えてもらうことが当たり前になっているその姿が許せない。

6年も見てきたので多少の思い入れはある。だからこそ、怒りという感情が生まれる。もっと主体的に、意志を持って生きてほしい。でもそれはあくまで私の意思で、本人が幸せならそれでいい。そこに私が合わなかっただけだから。

多様化しすぎた社会で、価値観を押し付けることを悪だと思ってしまうけど、昔向き合ってくれた人たちがいたから今の私がいる。だからこうやって逃げている私も卑怯なのかな、とも思う。多様化という言葉に頼る私も無責任なのかもしれない。

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びす
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