縛られすぎない丁寧さ
「丁寧な暮らし」ってなんだろう。
Twitter(現x)でびすのアカウントを始めた頃から「縛られ過ぎない丁寧さ」とプロフに書いている。
正直わたしの暮らしは丁寧だと思う。
季節ごとに花や珈琲豆を変えるし、インテリアの材質を変える。おうちカフェを定期開催するし、ほとんど毎日運動と自炊をする。
でもその行為は「丁寧な暮らし」ってなんだろう。
Twitter(現x)でびすのアカウントを始めた頃から「縛られ過ぎない丁寧さ」とプロフに書いている。
正直わたしの暮らしは丁寧だと思う。
季節ごとに花や珈琲豆を変えるし、インテリアの材質を変える。おうちカフェを定期開催するし、ほとんど毎日運動と自炊をする。寝る前に温かい飲み物を飲んでストレッチをする。
わたしの思う丁寧な暮らしは、自炊をしたり花を育てたりするひとつひとつの行為自体を指すのではなくて、軽やかに無理をせずありのままの自分を大切に生きる言動や行為すべてを指す。病みやすい自分ができる限り病まないために予防をしている。
要は自分が良い状態でいられることはすべて「丁寧な暮らし」に分類されるのだ。
だから、唐揚げを山積みにして食べるのも丁寧な暮らしだ。お風呂をキャンセルすることも、靴下を逆に履いているのに気がつきながら無視するのも全部丁寧な暮らしだ。
人に迷惑を欠けない範囲で、自分の心に従って生きる。
眠いなら洗い物も明日すればいい。しんどいならスーパーのお惣菜を買えばいい。大切なのは、心地よさがベースにあることだ。
何かを頑張るためには自己肯定感と余裕があればいい。
早起きや毎朝のランニングと自己分析、バランスのいい食事。規則正しい生活や趣味は、自己肯定感をあげて、身体的な余裕を作るためのもの。
唐揚げとハイボール、深夜に買いに行くアイス、季節限定ののパフェ、夜通し見た映画。背徳感と特別感は、心の栄養を補充するためのもの。
丁寧さばかりだと、縛りが増えて窮屈になる。SNSをしていると、人の暮らしを見て足りないところばかり気になってしまう。投稿を見られているとなると、「見られること」を第一にしてしまう。
別に、豆をひかなくたってインスタントでも十分美味しい。お皿に盛らなくたって鷲掴みでケーキは美味しい。
内面を豊かにするはずのものが、いつのまにか外見ばかり気にする。丁寧にすることが義務になり足枷になる。それは丁寧な暮らしではない。
私は不器用な人間なので、どちらが足りなくなっても不安定になる。時にはイレギュラーもあった方がいい。いつでも身軽にいられるように、という意味を込めての「縛られすぎない」なのだ。
生きることは、楽しさが第一だ。
忍耐も我慢も先に楽しみがあるから、続けられる。暮らしがつながって日々になり、自分になる。だから、今日はいい日だなと思えるくらいゆるやかに、時には無理しつつ日々を紡ぐ。
それがわたしなりの「丁寧な暮らし」に対する答えです。