『夜は短し歩けよ乙女』の世界

私はこの作品を愛しています。

黒髪の乙女を中心に進む物語。夢の中のようで、不思議な物語。

私がまだ小学生だったころ、この小説と出会いました。小説へのこだわりもまだ構築されていなかったころ、タイトルと表装に映し出された「乙女」にトキメキを感じたのを覚えています。

頁をめくっていくと、どんどんと引き込まれていきました。黒髪の乙女の可憐さ、気丈さ。そして先輩をはじめとする登場人物のユニークさ。

この小説を読んで覚えた言葉もたくさんあります。

「のべつまくなし」、「電気ブラン」、「詭弁」、「偕老同穴」、「無手勝流」、「蝉時雨」などなど。他にもたくさんの言葉を覚えました。知らない言葉を必死に辞書で引いていたことを思い出します。

小説は途中に挿絵がないため、自分の頭の中に自由に情景を描けます。それがとても楽しいのです。当時の(今もですが)私には、小説を読むことが頭の中に別の世界線を作ることのできる一つの方法になっていました。


その後、2017年にこの物語の映画が公開されました。もちろん観ました。

結果的に、この作品をさらに愛することができました。

幼いころに頭に描いた情景そのままの場面があったのです。

黒髪の乙女が納涼古本市で本を探す場面なのですが、思い描いていた風景と映像になった古本市の風景がぴったりすぎるほどぴったりでした。映像だと夜だったのでそこは少し違っていましたが。

まるで自分の頭の中の間違い探しをしているようでした。映画が全くの正解ということではありませんが、映像にするとこうなるのか~という感心でいっぱいでした。

私はこれまでもこれからも、黒髪の乙女が理想の女性像です。

体には悪いですが、お酒も嗜んでみたい所存です。これは悪い!と思ったら「おともだちパンチ」もおみまいしてやりたいです。(実際にはやりませんよ!相当する注意の言葉などに変換します)

今はもう、黒髪の乙女と同じ大学生になってしまいました。

同じようにドラマチックなこれからだとは限りませんが、

いつまでも私の中の乙女は歩き続けています。







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