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子どものお遊戯会、「オズの魔法使い」から学んだこと
はじめに
先日、息子の幼稚園でお遊戯会の発表があり、観に行ってきました。
発表会前によく家でセリフを練習して頑張っていたので、妻と楽しみしていた行事のひとつでした。
お遊戯会の題目は「オズの魔法使い」でした。
皆さんは、ご存じでしょうか?
簡単にあらすじをご紹介すると、カンザスという国にドロシーという女の子がいて、ある日竜巻で家ごと飛ばされて偶然落ちたのが、悪い魔女のお家でした。悪い魔女を下敷きにして悪い魔女をやっつけてくれたので、みんなは大喜びです。でも家に帰るにはどうしたらいいのか、途方に暮れるドロシー。
そんな時、オズという魔法使いなら何とかしてくれるという話をきいて、オズに会いに行くのです。その旅の道中、臆病なライオン、心のないブリキ、脳みそのないカカシ達も加わり、それぞれ手に入れたいものを求め、旅の仲間に加わります。そして、オズにあったら、魔女を倒したら願いを叶えてあげようよとなるのですが・・・そこから、すったもんだある物語です。
臆病なライオン
ライオン役に抜擢された息子は、臆病な自分を変えるために勇気を得たいと願っていました。そして、旅の道中、悪い奴らをやっつける場面があるのです。臆病だけど、ここは俺に任せろ、「えいっ」と勇気を振り絞って仲間のために戦うのです。
余談ですが、息子は幼稚園の中で一番大きな体格ですが、内面は繊細で慎重な部分が臆病なライオン役に見事にフィットしていました(笑)
自分で臆病と認めて、何とかしたいとコミットできたなら
息子が演じていたライオンには本来勇気があったのです。自分ではないと思い込んでいただけ、キッカケがなかっただけでした。いざという時は、大切な仲間を守るために、勇気を振り絞れるのです。
臆病だけど、立ち向かえるそれが本当の勇気なのだと、何だか気づかされました。
そもそも最初から勇気100%だと、臆病者である私は全く共感できません(笑)。やはり弱さを認めながらも、立ち向かう姿にこそ、共感するのだと心から感じることができました。
もしも、自分が臆病なライオンだったら
ここで、もし、自分が臆病なライオンならどうするか?
と、ふと思うことがあり、考えてみました。
仕事の場面で考えてみると、私は人材育成に係る法人営業をしております。
相対する方は人事、経営者の方々が多いのですが、商談や交渉の場面にて目的に沿わない要望も受けることも、たまにあります。
例えば、情報の開示において必要以上に要請される、また必要以上に値引き要請を受けること等が挙げられます。企業様の守秘義務、個人情報管理の遵守、組織として定めている金額規程、適正な対価=価値に対する自信は胸にありつつも、ついつい遠回しに言っている自分がいます。
自分には何ができそうか、明日から何をやっていきたい?
臆病な自分を認めます。
そのうえで、臆病ながらも、本当にありたい姿は、役職や肩書何て関係なく云うべきは云うことです。前提は、あくまでも目的は御社の組織の風土をよくすることが目的ですが。
大切なことを、目的のための手段であると捉える。そして、成果にコミットするために云うべきは云う、それだけです。
私は、こんな違和感を覚えているのです。と伝える。
その上でいかが感じられましたか?と問いかける。
また、時には一つ提案してもよろしいでしょうか?と提言するのです。
最後に
そういえば、ドロシーは見事に魔女退治までやってのけてしまうのですが、実は、最初から帰る方法は手に入れていたというオチ(銀の靴のカカトを3回ならす)も秀逸ですね。
手に入れたいものは、案外、自分の身近な足元にあるのかもしれません。