見出し画像

人生の感謝

子供の頃よく熱を出した。熱がでれば家の近所の診療所に行き、お尻に一本注射をしてもらっていたような気がする。
その筋肉注射の痛い事なんのって、今でも忘れられない。
2、3才の頃、家の2階の階段から転げ落ちたり、道路を渡ろうとして自転車とぶつかったり、家のドアに指を挟んで人差し指の爪がとれちゃったり、コンクリートの道で転んで膝の肉が少しズルむけになっちゃったり、今思えばまぁこんだけ、色々と怪我をしたもんである。
食生活では甘いものが大好き。毎日毎日、コーヒーガムを食べ続けた結果、小学校の歯科健診後に必ず黄色い紙をもらって帰ってきていた。そのたび歯医者に連れていかれ、治療後は血反吐はきながら母親の自転車の後ろに乗っていた記憶がある。
今でも歯医者は大嫌いだ。
怪我、熱は当たり前。
しんどくなると、急に過呼吸。
過呼吸からの意識喪失。
意識が戻って始めて、頭打った所とか腕とか急に痛くなったりする。
困ったもんだ。
お風呂でみつける記憶のない青タン。
小学生時代、月曜日の校庭での全校集会。
必ず気分が悪くなって意識を失ってたか、失う前に自力で先生か友達に伝えていた。
とにかく、保健係の人に何度もお世話なっていたのである。
だか、見た目がどうも活発な感じの子だったので、大人になればなるほど周りからは、なんであんなにスポーツもやって元気そうなのにねっていつも言われてた。
子供の時からも、何度か救急車に運ばれた事はあるけれど、大人になってからも片手分はお世話になってしまっている。本当に救急隊の人達には、感謝しかない。
まぁ良くも悪くもあまり体の丈夫な方ではなかったと思う。だからかはわからないけれど、ずっと子供の頃から、私は18歳で結婚して、19歳で子供を産んで、20歳で人生を終えるって決めてた。
なんでか、わからないけれど中学校の友達にもそう伝えていた。
だけど、高校に行ったからといって、未来の旦那に会う事もなく、なにもなければ子供なんてできるわけもなく、気がつけば社会人で安い給料で働いていたのである。
なんか予定が狂ってしまっていた。
そうやって、仕事を続けて旦那と結婚し、あっという間に子供ができ、子育てに奮闘しているうちに20年が過ぎた。過去に20歳で人生を終えるとは、どの口が言うとるねんちゅう話しだ。
倍ほど生きてしまっている。
まぁ、人生なんて自分が思ってるように事が運ばない。それがわかる様になるほどは、生かされてきたように思う。
 50歳になり、子育ても一段落し、今は旦那と2人で弾丸ツアーで旅行に行くのが楽しみだ。色んな所に行って、見たことない風景をみて、美味しいものをたべて、幸せを感じる。なんてありがたいことよ。
感謝しかない。
そうやって菩薩様のように残りの人生を生きていけたらと思うのだが、我が家の宇宙人には毎回心が翻弄される。
高知県に旦那と旅行に行く計画を立てた。
工程をきめようとるるぶを借りてきた。
宇宙人な息子も「藁焼きのカツオを食べたいから、高知に行こうかなー。」と言うので、
「るるぶあるよ。見る?」と本を渡そうとすると
「いや、いい。」
「?なんで?」
「同じとこには行きたくない。」
「???」
言ってる意味がわからない。
あぁ、私達と一緒に旅行にいったとして、僕は違う観光地にいきたいから、途中で車を下りて別行動って意味か?と思って聞いてみると。
「違う。人が行く様な所にはいきたくない。」
「???」
るるぶに喧嘩うってるのか?
大概みんなそれなりに有名なスポットに行くんじゃないの?って思ったけど、彼は違うんだろう。
私達の旅行は行きたい所を徹底的に調べ、車の移動と距離と時間をだいたい決め、行きたい目標に向かって動いていく。
どうも彼は予定もたてず、とりあえず宿泊地さえ決まれば、あとは当日好きな様に動くみたいだ。
そうか、そういう考えもあるんだね。
どうも昭和世代は、時間を有効活用して無駄なく観光地を回りたいと思ってしまう。
そもそも価値観が違う相手と話をしても平行線。
毎回色んな学びを体験できる、わが宇宙人な息子よ。学ぶ機会をくれてありがとう。
これも感謝。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?