きゅうりとアボカドが嫌い。
きゅうりがすごく嫌いで。
あの食感とか、味がなんもないのに変な汁が出てくる感じとかすごく嫌いで。
いつもおかあさんが食卓にサラダを並べてくれると、弟はきゅうり大好きなので、僕の分も食べてもらっていました。
弟はトマトが嫌いだったんですけど、僕はトマト大好きなので、交換とかよくしてました。弟ありがと。
アボカドがすごく嫌いで。
勘違いしないでくださいね、味とか食感とかは結構好きです。
でも、見るたびに元カノとの思い出を思い出してしまうんです。
付き合いたてにアボカドサーモンを食べていた僕たちは、明らかにアボカドに飽きてしまい、お互いのお皿にアボカドを入れあっていました。
何年経ってもその時のことを言い合いして、笑ってました。
その楽しかった思い出が蘇ってきて、もうその日々には戻れないんだということを痛感するのです。
だからアボカドは嫌いです。
きゅうり農家の方ごめんなさい。
僕きゅうりが嫌いで食べないんです。だからきゅうり農家さんのことを差別しているともしかしたら捉えられてしまうかもしれません。
でもすごく美味しそうな顔できゅうりを食べる弟の顔も知っています。
だから僕はきゅうり農家の方が好きですよ。ありがとうございます。
全国のアボカド好きな方、ごめんなさい。
個人的な理由で僕はアボカドが嫌いです。
でも、そもそもは好きだったんですよ。本当に。あるきっかけで、好きになれなくなってしまったんです。え?これもアボカド好きな方を差別しているのですか?ごめんなさい、そう捉えられてしまってもおかしくなかったですね。
発言しない方が良かったですかね?
心の中に留めておけば良かったですかね?
もしかしたら、みんなきゅうりやアボカドが嫌いってことを内に秘めながらも、仕方がないと思って食べているのかもしれません。ごめんなさいね。発言をしてしまった僕を叩いてください。
きゅうりを嫌いな理由とアボカドを嫌いな理由は僕の中では違うのですが、括ってしまえば一緒ですもんね。そこまで興味ないですもんね。公言したら、全部全部関係ないし、そこまでのプロセスは聞いてもらえるわけがないですもんね。
子どものことは嫌いではないです。
かといって特に好きでもありません。
しいていうなら、苦手です。
もう一度言います。noteだから、引きがあるから誇張したりしません。苦手です。
これは僕の中の話で、うるさいとか話が通じないとか、そんなこともありますが、それは僕の方の問題で、僕にスキルがまだ身についていなかったので、静かにさせるように持っていく術をもっていなかったり、話をしっかり聞く体勢が僕の中で定まっていないからだと思います。
苦手だと思ってしまいます。だから、どうしたらいいのか考えてみてたんです。ずっと。
きゅうりみたいに嫌いだったら、食べなきゃいいんですけどね。弟にあげたり、僕はそこまでしませんが、きゅうり不買運動とかしたりすればいいんでしょうね。
僕は陽キャも苦手でした。自分たちの中でしか盛り上がらないし、大きな声を出すだけとか、文化祭のステージに関係ない奴が上がることが面白いと思っている節があるのでとても苦手です。
でも、少しだけ憧れがあったり、陽キャに対して復讐心はとくになかったりのあやふや人間だったので、適度に距離を置いて、輪に入ろうとするのではなく、自分の中でどう対応しようかなぁと考えていたら、苦手なりにたくさんのことを思えることができて、なんとなく掴めてきた25歳の夏です。
もう一度言いますが、僕は子どもが苦手です。
どうしたらいいかわからなかったからです。
そのまま教師になりました。そしてやっぱり悩みました。他のみんなみたいに、好きだからこそ、相手の中に入り込んで、思いを分かち合うことが僕にもできたらいいんですけど、やっぱり無理そうでした。
学年主任の先生に、ある時「子どもも1人の人なんだから、おんなじように対等に接する時があっていい」と言われました。その言葉から、少しずつ開けてきました。
ある子が、勉強をしたくないと言いました。
相手のことを子どもだと思っていたら、僕は「一緒に頑張るからやろうよ」とか「なんでやりたくないのか、考えてみようか」とか言います。
でも相手のことを1人の人間としてみたら。
対等な関係で見た時に僕は不意に言葉を発していました。
「いいんじゃない?多分勉強なんで絶対しなきゃいけないもんでもないんだよ」
「え?いいの?」
「いいよ?別に勉強しなくても幸せだろ。だって楽しいことしてさ、勉強しなくても入れる高校もあって、そこ行ってさ、特にやりたいこともなくて、そのまま適当に勉強というよりは、体を使った仕事をするところに就職して、地元の子と結婚して、仲睦まじくくらせばいいんだよ。もちろん、それをやってくれてる人がいるから俺らも生きていけてるんだもん。感謝しかないよ。これが1番難しいとかいう人いるよ?でも、今の中に「勉強をしなきゃいけない」というものは一切入ってない。俺の周りにもそういう人はいるよ」
「へぇーそうなんだ。」
「でもさ、お前も夢が今あるんじゃないの?」
「別にあったっていいじゃん」
「夢叶わなくても幸せだったら別にいいよ。やりたいことできなくても、十分幸せってことが今わかったじゃん。今俺がお前の未来を予想して、それで幸せってことがわかったんなら、それでいいんじゃない?」
「….いやだな」
「勉強しなくても、幸せには多分なれるけど、予想できるくらいの人生だよ。」
次の時間は算数。
いつもは席を立ち上がって、他の子にちょっかいを出しているその子は、みんなが問題を考えている時間に僕を呼びつけました。
「先生、とりあえずこの問題、俺に教えて」
次の時間は元のその子に戻る。別にいい。俺は苦手な子どものことを根本的に一年で変えることのできる力があるわけがないとわかっていました。
でも、一瞬なら。
こんな自分にでも、人として、少しだけ、変えられるのかもしれなかったんです。
苦手だからこそ、相手をちゃんと人として、対等に見る。子どもも陽キャも結局は1人の人間。少しでも下に見て、苦手だと適当に括ってしまえば楽だけど、それは逃げてると思った。だから向き合ったんです。
本当に1番苦手なのは自分と向き合うことで。
というかこれはほとんど嫌いで。
でも、子どものことを人としてみて、それっぽく現実を語っていた自分と向き合って。
「時におかだともきよ。お前のやりたいことってなんだったんだ?目の前の人には自信ありげに語れるのに、お前は自分自身のやりたいことに嘘をついているのか?」
AbemaPrimeを見てくださったあなたへ。
以前は、子どもを心の中でだけ、「苦手だなぁ」と思いながらも、なんとか自分なりに考えを持って、そして、人として好きになれた、そんな小学校教員をしていました。ワタナベエンターテインメント所属芸歴1年目、現在は弟と兄弟コンビ「おかだんち」を組んでいます。
岡田和己(ともき)といいます。
熱意のある無能だと、自覚しておりますが。
どこかの誰かには、差別主義者だの、有害だの言われることもあるかとおもいますが。
精一杯自分と、人と、向き合いながら精進して参りますのでぜひともよろしくお願いします。