【ぶんぶくちゃいな】陳浩基(ミステリ作家)インタビュー「香港は現代のカサブランカなんですよ」

昨年9月に日本で翻訳出版された香港人作家、陳浩基さんのミステリ小説『13・67』が快進撃を続けている。

日本では中国語の世界のミステリなんてほぼ知られていなかった(わたしも知らなかった)のに、なんと昨年末には日本のミステリファンが選ぶ「年間海外ミステリ作品」の1位に選ばれた。国内外のミステリを読み慣れている日本のミステリファンが推したという点からも、香港を舞台にしながら、また香港の歴史を背景にしながら、香港という土地にとらわれない優れた小説であることがよく分かる。

簡単にご紹介すると、『13・67』はある警官の成長の記録と香港社会の変化をベースにした作品で、章を追うごとに2013年から2003年、1997年、1989年、1977年、1967年…と時代を遡り、最後で不思議な因縁にあっと驚くしかけになっている。実のところ、それぞれの年は小説の中では特に説明はないのでそれと気づかない人もいるだろうが、香港の歴史にとって意義深い事件が起きた年となっている。つまり、実際に起きた出来事とそれが引き起こしたムードが、そのままフィクションのバックボーンになっている。

しかし、小説自体はその意味を事前に知っていなくても、読者がストーリーを楽しめるようになっていて、それが小難しい中華小説とはまったく別の味わいをもたらしてくれる。わたしのように香港好き、あるいは香港に地縁のある人ならいろいろ知見を反芻しながら読めるし、香港をよく知らない人でもまるで西洋ミステリを読むような感覚(これは翻訳者の天野健太郎さんの素晴らしい翻訳のおかげである)でぐいぐい引き込まれていく。だからこそ、中華ミステリなんて金輪際読んだことがなかったはずの日本人ミステリファンの心をつかんだのだ。

昨年、わたしも書評を書いているので、ご興味のある方はどうぞ。

作者の陳浩基さんとは今年3月に彼がプロモーションのために来日し、警察ミステリ作家の横山秀夫さんと対談した際に一度お目にかかって言葉を交わしていた。残念ながら出版社が手配した通訳がまったく通訳能力を持ち合わせていないという大変な場で、すでに何度か面識のあるという横山さんと陳さんが、陳さんの日本語能力を頼りに明るく語り合っていたのが非常に印象に残った。

(念のためだが、だからといってアジアから日本のプロモーションに来る人がみな多少は日本語ができる、あるいは日本のことを理解しているとは思わないでいただきたい。あのときは、完全に出版社側の失態が陳さんの能力によって救われた。担当者には深く反省してもらいたい。)

5月末から6月にかけてわたしが香港に滞在した際に改めて陳さんに連絡をとった。香港のカフェに座る陳さんはかしこまった日本での場とはうって変わり、普通の香港人のお兄さんに戻っていた。とはいえ、さすが作家。香港の警察、植民地初期の人口事情、さらに「東方カサブランカ」など、聞いているだけでこちらがわくわくするような歴史秘話がどっさり飛び出してきた。

お忙しい中、ゆったりと時間を取ってくださった陳さんに感謝しつつ、読者のみなさんにはぜひ読んでいただきたい香港歴史裏事情がたっぷりとつまったインタビューである。

【陳浩基プロフィール】1975年香港生まれ。香港中文大学でコンピュータ・サイエンスを学ぶ。子供の頃からホラーやミステリを読む。2008年から台湾の推理小説作家協会の公募大賞に応募、次第に最終作品に残るようになる。2011年に台湾島田庄司推理小説賞で優勝。『13・67』は2014年発表。

――日本語学習はいつ始めたんですか?

陳浩基(以下、陳):大学を出たあとに日本語学校に通い始めたのが最初です。1週間に1回2時間の短い授業のクラスでした。1年ちょっとくらい通ったころに、先生に日本語能力テストを受けてごらんと言われました。

でも、ぼくにとって日本語学習は、漫画を読んだり、ゲームを楽しんだり、アニメを見るためで、仕事に使おうとは思っていなかったので、テストは受けませんでした。適当に学んだだけなのに、それがまさか日本に招かれてそれなりに役に立つとは…(笑)

――さっき、書店で新刊を仕入れてきましたよ。『網内人』(「ネットの中の人」)は『13・67』の後に書かれたんですよね? そして最新刊の『山羊獰笑的刹那』(「ヤギが薄気味悪く笑う瞬間」)も。

陳:『山羊獰笑的刹那』は、以前とはまったく違う、ホラーっぽいライトノベルです。『網内人』は推理小説ですが、社会派の作品です。香港の社会情勢なんかを書き込んでいて、東野圭吾さんや宮部みゆきさんのスタイルに似ていると思います。こちらは近いうちに日本語翻訳版が出ることになってます。

――で、今は次作を書いておられる?

陳:書きたいものはたくさんあるんですが、今ちょうど7月に行われる香港ブックフェアに合わせた出版計画のピークにあたってまして、いろんな友だちの本に推薦を書かなきゃいけないので、それも読まなきゃいけない。ぼく自身もブックフェアに合わせて『13・67』の香港向け新バージョンを準備中です。

――香港向け新バージョン? 広東語表記にするんですか?

陳:いや、すべてのセリフを広東語に直すなんて面倒なことではなくて、たとえばタクシーのことを香港では「的士」と呼びますが、台湾だと「計程車」という。『13・67』は台湾で出版されたので、使われている言葉は台湾人にわかりやすい単語を使っているんです。

バスも台湾では「公車」ですが香港では「巴士」。あと建物の1階は台湾は「一楼」と呼ぶけれど、香港だと「地下」ですね。香港では屋上は「天台」、台湾は「屋頂」…そんな表現を全部、香港人読者向けにまるまる書き換えていくつもりです。

また初版本には香港の事情を台湾人に理解してもらうために、たくさん注記をつけています。たとえば香港の「深水埗」という地域に衣料品工場が集中していると長々と説明していますが香港人ならだれでも知っていることですし、そのままだと香港人をバカにしてるみたいなので書き換えるつもり。

その一方で、香港の編集者から「今の若い子はこれこれを知らないから書き加えたほうがいい」と提案されたりしていて、書き足さなくちゃいけない部分もあります。

――1967年の暴動事件なんて、今の人たちはわからないことも多いんでしょうね。

陳:香港の警察には「督察」(警部に相当)という階級がありますが、彼らは昔は一般的に「幇辦」と呼ばれていたんです。でも、今の若者はもうこの呼び名すら知らない。

●英中の歴史が入り交じる香港警察

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