【ぶんぶくちゃいな】中国ITプロたちの不安:センター化するインターネットと我われの記憶

変な話に聞こえるかも知れないが、わたしはインターネットの「流儀」を中国のネット界で学んだと思っている。

こんなふうに書くと、「中国のネット界ってコピペとパクリだらけなのに?」とか「へー、世界のインターネットから遮断された環境でねぇ〜」と思う人もいるかもしれない。それも想像の上で書いている。

もう一度書く。わたしはインターネットの「流儀」を中国のネット界で学んだ。

引っかかる人に言っておく。たぶん、海外留学でもしてITについて学んだ経験を持つ人以外、日本人のほとんどがインターネットを日本語でお勉強したはずだ。その日本語で読める記事が、なぜ中国語で読める記事より、多いはずだとか、深いはずだとか、視野が広いはずだとか、さらには世界にリンクしているはずだとか、言えるのだろうか?

少なくとも、中国でインターネットに触れながら、わたしは日本語の記事にも目を通すことができたし、英語の記事にも、多少目を通してきた。

わたしの見識の方が広い、と言いたいのではない。だが、日本の記事を除き、わたしが目を通してきた記事のほとんどが中国語で書かれたウェブサイト、もっとはっきり言えば、中国人ブロガーや中国人ツイーターたちがその存在を教えてくれたものばかりだ。つまり、中国語のインターネット世界の見識の方が日本語より広い、と言いたいのである。

中国のネットがツイッターやフェイスブック、グーグルやウィキペディア、さらに昨今では日本のLINEまでブロックしているのはもう有名な話だが、それだけを取って中国語のネット世界をバカにしてはいけない。

簡単には得られないからこそ本気出す――それが実践されているのが中国のネットだ。

そしてそれに加え、共産主義華やかなりし頃の習慣ともいえる「共有財産」概念がいまだにしっかり根付いている。日本は、というと、すぐに囲い込んでしまう。

2011年ごろにツイッターが爆発的に広まったときにも、「見知らぬ他人に自分のツイートをRT(リツイート=シェアすること)されたくない」とキレる人が続出したのを覚えているだろうか。

その時、中国ではすでにツイッターはブロックされていたが、それでもあの手この手を使ってツイッターを利用していた人たちは「Sharism」、つまりシェアし合うことを是としていた。あるいは、「シェアしてもらうため」にわざわざツイッターを利用していたともいえるかもしれない。これは、その後中国で主流になった国産SNS「微博」(以下、ウェイボ)や「微信 WeChat」(以下、「WeChat」)でも同じだ。「シェアする」「シェアしてもらう」が彼らの「インターネットの流儀」なのだ。

さすがに今では日本でもシェアの意味が理解されるようになったけれども、環境はともかく、意識の面において中国人は日本人よりも「インターネット的」であることは理解しておいてもらいたい。

この辺の中国人ネットユーザーの特性は拙著「中国メディア戦争 インターネット・中産階級・巨大企業」にまとめたので、おさらいしたい方がおられればぜひご一読いただきたい。

●ネットの最大の違いは「シェア」意識

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