【読んでみましたアジア本】一般論ではわからない事実、残酷な現実を知ること/林奕含・著、泉京鹿・訳『房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園』(白水社)

あれからそろそろ1年が経つ。振り返ってみても、まさかAがあんなふうに人生を終えるとは思ってもいなかった。

AとはTwitter上で知り合った。当時の中国のネットは、時々海外のページにアクセスできないことはあったものの、今に比べるとまだまだずっと自由だった。モバイル前の時代だったから、中国でネットを使っている人たちといえば、PCを持っているか、学校の図書館やコンピュータールーム、あるいは職場などでPCに触れることができる、ある意味限られた人たち――ネット初期世代だった。

ネット初期世代は、中国国内にいながらネットを通じて世界中の情報に触れることができることに夢中になった人たちだ。Aはその中でも特に、英語系、IT系の情報インフルエンサーとしてさまざまな情報を提供してくれており、当時の中国語Twitterユーザーで知らない者はいないほどの人気を集めていた。

但し、生身のAはとにかく一筋縄ではいかない子だった。小柄でやせっぽち、大きな目をした可愛い顔立ちをしており、頭の回転は早く、情報通なのだが、その一方で好き嫌いが激しいかなりの頑固者。かと思うと、妙に人懐こいところがあり、そのアンバランスさが「飯酔」(オフ会。「犯罪」の中国語の発音にひっかけている)の現場で多くの人たちに愛され、それが彼女の人脈を広げる源泉になった。

そのAが「中国を脱出した」と知ったのは、ある中国人ジャーナリストが「家で羊肉を焼いたのでAを呼ぼうと声をかけたら、なんと日本に留学していると返事があった」と、呆然自失状態でSNSでぶやいたのがきっかけだった。

Aが長年中国脱出の機会を図っていたのは親しい人たちならダレでも知っていたが、彼女が敬愛してやまなかったそのジャーナリスト氏にも黙って中国を出ていたということに、ジャーナリスト氏だけではなく筆者も驚いた。すぐにAと連絡を取ると、なんとその年――上海が2ヶ月間封鎖されたあの年――の秋から、東京の語学学校に通い始めたと言った。

「やっと出てこれた。あれ以上、あの国にいると狂ってしまう。留学手続きはお金を借りたりといろいろ大変だったけど、わたしは大丈夫、今のところうまくやれているから。あんたが東京にいないのは残念だけど、来たら連絡して」

電話の向こうのAは北京にいたときと同じようにケロッとそう答えた。その後、彼女がSNSにたびたび、「日本からの代行輸入承ります」と書き込むようになったのを見るようになった。きっと、コロナ対策も解除されて留学や旅行が解禁されたせいで、お小遣い稼ぎの輸入代行もうまくいっていないようだと思い、筆者もときおり、趣味で作ったパンを送りつけたりしていた。


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