「生きていればいいことがある」は本当か
私自身が自殺に失敗して強制入院させられ、独房のような何も無い部屋で人権を剥奪された生活をしてからしばらーーーく経ちました。
その部屋の中、部屋を出てからの経過観察で毎日言い聞かされた言葉があります。
「生きていればいいことがある」
この言葉を聞き続け、多少なりとも希望を抱いて精神病院を退院して何年も経った訳ですが自分の中には怒りしかありません。
生きているだけでいい?本当にそうなのか?
私は生き続けました。この生きていたくもない世の中で。その間にいいことなるものが起こったかどうかでいえば完全にNOである。
何ひとつとしていいことなど起こった試しがない。
生きていて何も楽しいことがない、生きる理由が分からないといった人向けに書かれた記事を軒並み読み漁り、そこに書かれた毎日を楽しくする方法を実践しても何ひとつ変わらない。
あの記事を書いているような人間は根本から間違っている。ストレスの原因は生きていることそのものである。生きること自体が苦痛なことに理由がいるのか?
明日を生きるのが苦痛、未来に絶望しかない、生きていて不幸はあるにせよ幸運と呼べるものがひとつも起こらない。こんな人間をどう救うのか?
救えるわけが無い。生きるのが苦痛で何故苦痛なのかは未来に絶望しかない。何故未来に絶望しかないのかと言われれば生きるのが苦痛だからである。
探っていけば理由が見つかると論じる人間はこのループを打開できるのか?出来るものならやってみろ。
「生きていればいいことがある」なんて無責任なことを言うのはやめろ。何もなかったぞ。生きていても何ひとつとしていいことなどない。やらない善よりやる偽善を自殺失敗した人間に当てはめるな。
本当に自殺に失敗した人間を救いたいのであれば必要なのは精神病院ではない。処刑場、ないしは安楽死施設で当人の人生を終わらせてやることである。
私は次に自殺に失敗すれば残りの時間を全て精神病院で過ごすことになるであろう。ギャンブルに成功すれば全てから解放されるが失敗すれば今以上の絶望的生活が待っている。
私は分の悪い賭けは好きでは無い。死にたくとも自殺は出来ない。つらい。苦しい。楽になりたい。楽にさせてくれ。生きることそのものが苦痛なんだ。友人がどうした?家族がどうした?残された人の気持ち?生活がどうなるか?
そんなことは知ったこっちゃない。私は今、生きていたくないのに生かされているこの現実が苦痛なのだ。
自分が死んだ後のことなど気にするはずがない。どうでもいい。1分1秒でも早く死んでしまいたい。
「生きていればいいことがある」なんてありえない。
私に唯一訪れるいいことがあるとすれば、この先何十年も生きなければならない生活を一瞬で終わらせてくれる何らかの事柄だ。何でも構わない。私一人の力ではもうどうしようもない。誰か、どうか、私の命を終わらせてくれ。
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