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【短編小説】芸能なのか任侠なのか【一話完結】

 或る日の夕暮れ、さる芸能事務所に足を運んだ柊元真事は、微睡みの手前で揺蕩う若い受付嬢に言い放った。

「柊元って者だけど、社長さんいますか?」

 まだ眠たそうな口ぶりで、彼女は答えた。

「はあ、どのようなご用件でしょう?」

 柊元は、ジャケットの左内ポケットから名刺を取り出し、受付台に叩きつけた。

「小説家の柊元真事が来たと、社長に伝えてください」

「あの、大変恐縮ですが、本日お約束はされていらっしゃいますか?」

「いらないね。そんなもん」

「申し訳ございませんが、お約束のない方との面会はお断りさせていただきますので、よろしければ弊社HPよりお問い合わせを……」

 あくまで事務的な対応に徹する受付嬢だったが、これにより柊元の五臓六腑が煮えくり返る。それで思わず声を荒らげた。

「馬鹿なことを……。猪狩社長、いるんだろ? どうせ、やたら質の良い肘掛け椅子にふんぞり返って、商売女とビデオ通話でもしている頃だ。私と会えない道理なんて、ないはずだ! 分かったら、猪狩を出せ! 猪狩を!」

 漸く名刺を手に取った彼女。で、そこに書かれた名を睨みつけ、再びこちらを見据える。

 小説家、柊元真事。それだけが書かれた実に淡泊な名刺だ。彼女は眠気を払うように、また猜疑心に満ちた表情で、幾度となくこちらを見返した。その様子を見るや、今度は柔らかな口調に戻して続ける柊元。

「この私が会いに来たと言えば、大概のことは理解するはずです。ほら、何もここを空けて呼びに行かなくたって、電話だっていいんだから、早く社長を呼んでくださいよ」

 彼女は観念したようで、嫌みったらしく苦い顔を作りながら、受話器を取った。それから、聞き取れないほど小さな声で何ターンかのやり取りをしていたが、やがてこちらに向き直り、彼女が言う。

「二階の会議室にお上がりください」

 手渡された入館証と、カードホルダー。ゲストの文字が浮く入館証を見て、拳を固める柊元。だが、これ以上の不毛な応酬は避けたい彼は、受付嬢に一礼してエントランスを歩き出した。昼にしては暗い館内に、差し込む光を求め歩く。まったく、いつ来てもここは禍々しい。なぞと独りごちながら、エレベーター前で仁王立ちをかます老齢の警備員に入館証を見せると、

「サインでもしましょうか? ん? ん?」

 と、胸ポケットに差したペンを探ってみせる。勿論、サインペンなど携帯している訳がない。これは彼なりの皮肉だ。三階に止まっていたエレベーターが来た。扉が開き、柊元を出迎える。しかし、乗り込まない。警備員の顔を覗き込み、少しも動揺の色を見せない彼に素っ気なく礼を伝えた後、非常階段を使って二階に上がるのだった。

 会議室には、案の定誰もいなかった。何かの打ち合わせがある度に、こちらの会議室に足を踏み入れてきたが、いつも自分は待たされる側だった。とどのつまり、待たされ体質なんだろうと、自分を解く。どんなに杜撰な零細企業でも、毎度毎度ゲストを待たせるような真似はしない。第一に、柊元真事はゲストではない。いかりプロダクションの前身、いかり出版から数多の小説を発表し、知名度向上に貢献してきた影の功労者である。ならばやはり、ここまで粗雑に扱われている謂れはない。

 怒り心頭で足を揺らす柊元だったが、それからすぐとノックもせず部屋に入ってきた男が、社長の猪狩でなく、中肉中背、無精髭のマネージャー平野であったことを理解するや、もう呆れ切ったように呟いた。

「またあんたか……」

 その呟きを受けて、平野もまた大きな嘆息を見せる。そして、何か繕うこともなく、

「柊元くん、こういうのやめてって前も言ったよねえ? 君はもう、うちとは関係のない人間なんだからさあ」

 とち狂ったかと、目を見開いた。耳を開くべきだったかもしれない。いや、それよりも、なんという無礼な男だ。平野は、柊元がいかりプロとマネージメント契約を結んでいたときのマネージャである。今もまだ弱小には留まっているものの、彼がタレントとして所属していた頃に比べれば、事務所は格段に大きくなっていた。平野の、人を舐め腐ったような口調は健在だ。それがまた、腹立たしかったのだ。

「話も聞かずにそんなことを……。相変わらず、大層な口の利き方をする人だな、平野さん」

「いいから帰ってくれよ。君がいた頃みたいに暇じゃないんだ。何せ、今はこの僕一人で七人の主力タレントを抱えているもんでね」

 平野は、その七人が載る卓上カレンダーをこれ見よがしに見せつけ、柊元の神経を逆撫でする。しかし彼は、そんな平野の挑発になど乗らない。

「そんなことは、私の知ったことじゃない。だがね、あんた忘れたとは言わせないよ? 私が二百万も払って出版した小説で、あんたらどれだけ甘汁を吸ったんだい? ん? ん? それだけじゃないよ。印税なんか碌に払わないあんたらは、またすぐと映像化の話を持ってきたが、それでも私は皮肉さえ言わず、五百万ほど自腹を切ってやったじゃないか。おかげさまで、今も借金まみれなんだ。責任を取れとは言わないが、少々手厚くもてなされても、罰は当たらないと思うがね」

 柊元の言葉に、平野は鼻で笑って返した。

「そんな一発屋、業界には零れ落ちるほどいますよ。それに、大した収入のない君に自社ローンを組ませてやったことに、礼の一つもないのはどうなんだ? 映像化がどうと言うなら、それはこちら側も君以上に金を出してるんだ。それに、原作はまあ無名にしてはよく売れた方だが、映画なんか思いっきりコケたじゃないか。あんまり、自分を誇示するもんじゃないよ。君が干されたのは、そういうとこじゃないか?」

「いや、違う。平野さん、あんたぶってるな。ちっと、ぶりすぎだ」

「なんだ? なにがだ?」

「正論家ぶるなと、言ってるんだ。あんたがなにを喚こうと、一人の小説家を欺き、邪険にし、突き放した。それは事実だ。あんたみたいな恩知らずが、出世したかなんだか知らないが、こんな風にしゃしゃり出て来られちゃ困るんだよねえ」

 柊元の舌が回り始めた頃、平野は分が悪そうに顔をしかめていたが、ふと思いついたように切り返した。

「まあ、それはいいんだけどね? 僕の言葉はね? 他ならぬ猪狩社長の言葉でもあるんだよ?」

「……何が言いたい」

「だからさ、君はもう用済みなんだよ。いかり出版から小さなヒット作を生み出してくれて、どうもありがとう。お疲れ様。もう、休んでいいんだよ。ね、休もうよ。小説家さん」

 平野は、柊元の怒りを逆撫でするように、ねっとりと言葉をかける。もう、限界だった。込み上げてくる感情に、名前をつける暇などなかった。

「そうかい。あんたらは、事務所総出でこの私に弓を引く訳か。ああそう、いいよ。だったら、もう帰るよ。二度と、ここの敷居を跨いでやるもんか!」

「ええ、そうしてください。出口なら空いてますから」

 平野は、吐き捨てるように言うと、踵を返す柊元を尻目に肩を竦めた。しかし去り際、柊元は振り向くことなく声を張った。

「猪狩のゴキブリ野郎には、地獄に落ちろと、お伝えください」

 もう何も言わないかつてのビジネスパートナーに、彼は失望した。馬鹿な男だと、心底うんざりした。また、理不尽を打破できない自分自身にも腹が立った。彼にできることは、小説の中での抗い。それだけだった。

 東麻布の夜風は、凍えるようだった。行き交う人々は、誰も惨めに見える。空蝉の虚しい呟きに、柊元はただ拳を強く握るしかなかった。屍になって堪るかと。

 現時柊元真事は、町を仕切る流行歌を聴きながら、天を仰いだ。そうして見上げた星のない夜空に、明日の言葉を探し始めるのだった。

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