「物言い」への考察
大相撲九月場所3日目「琴櫻vs翔猿」の一番。”ミスター差し違い・平成令和のズッコケ行司”立行司木村庄之助の軍配は琴櫻へ。誰が見ても微妙な一番。当然、物言いがついてしかるべきと思いましたが、審判長九重親方は澄ました顔。物言いつかず行司軍配のまま琴櫻の勝ちになりました。スローを見れば、微妙どころか翔猿のほうが残っている。
数年間から思っていましたが、「審判のスキルが落ちている」。いまの審判の中でよく見ておられるなーと思うのは、谷川親方、立川親方、放駒親方の面々。特に審判長が心もとない。物言いつけない粂川親方、前審判部長の佐渡ヶ嶽、さらにその前は自分の部屋の力士を贔屓する伊勢ケ浜、亡くなった井筒親方も不可解な審判が多かった。伊勢ケ浜親方を覗いていまの審判部長高田川親方含め、最近の審判部長は三役止まりの親方が多い。ほかにも、しどろもどろの阿武松審判部長(益良雄)、ただ座ってるだけの鏡山審判部長(多賀竜)、友綱審判部長(魁輝)など。
2000年頃、佐田の山の境川親方までは審判部長は横綱の任所だった。元大関の貴ノ花(二子山親方)から大関でも審判部長になれるようになった。50代で亡くなった二子山親方は、存命なら理事長になった人だと思うので周りも異論はなかったであろう。しかし、それ以降は元横綱で審判部長を務めたのは、先述の伊勢ケ浜と九重(千代の富士)のみ。廃業・退職含め日本人横綱が激減したので仕方ないのかもしれない。元モンゴル人は審判部長になれるのだろうか。白鵬の審判部長は噴飯ものだが、鶴竜なら納得できる。照ノ富士が引退して審判部長になってもまあよかろう。
さて、本題の「物言い」に関してだが、内部事情もあるだろう。今場所で退任の木村庄之助に差し違いをさせるなとか、時間が押しているとか、あの審判長だと物言いつけずらいとか。そもそも最近は、審判長がビデオ室から何か言われて物言いをつけるパターンもある。審判ではないのでが、決まり手係という親方がビデオ室にいて、物言いがあったときに審判長はビデオ室とやり取りする。柔道のJuryのような存在。Juryは審判の上だが、決まり手係は審判ではないので積極的に軍配に異を唱えることができる立場ではない。しかし、勝負が決まった瞬間に審判長と決まり手係がよくやり取りしているので、ビデオ室の親方の立場も上がっているのではないかと思う。そうなると、土俵下に5人も審判必要?となる。決まり手係が物言いはつけられないので、土俵下の5人のうち1人が審判としてビデオ室で座るのはどうだろうか。審判なら決まり手係よりも物言いがつけやすい。
さらに言うなら、私が最近国技館に足が遠のいているのは、チケットが取れないこともさることながら、観客が置き去りになっていることだ。国技館のどこかに大型モニターをつけて観客がリプレイを見れるようにしたほうがいい。どんなスポーツだってそうしている。国技館にいると、え、いまの勝負、土俵際、どうなの?とモヤモヤすることが多いのである。
物言いに関しては、以上が私の私見。
以下、記事で拾った「本人が物言いつけられるようにしたらどうか」という意見も見つけたが、それ白鵬じゃん、と思った・笑。