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広告の生き残り方
私は25年ほど広告代理店で広告、主にCMを企画制作していました。東日本大震災の頃からメディアは信頼を失いはじめて、広告はコンテンツをインターラプトする邪魔な存在という感覚が強くなりました。
信頼できないメディアの中の最たるものである「広告」の制作に嫌気を感じ、同時に自分ですら見たくない広告を作っているという自己矛盾に耐え切れず、すっぱり広告業界から足を洗いました。
それから10年以上経ちましたが、広告業界は衰退の一途を辿っています。広告でヒット作、話題作なども見なくなりました。それでも十年一日の如く相も変わらず広告を作っている奇特な方々がいるのですから、その時点で先見の明がないことを露呈しているわけですな。
しかしこのままでは、本当に広告がなくなってしまいます。広告がなくなるとどうなるか? 民法テレビが有料になります。ま、いいんですけど、テレビなんか見なければいいだけなので。そんな私でも年末年始に広告を見ていた雑感を記します。
局制作のCMが増えましたね。CMはべつに広告代理店しか作れないわけではないので、放送局がCMを作ってもいいのです。このことは、広告代理店の減収に拍車をかけます。
古い広告文法に、いまだにしがみついている企業や広告代理店がまだまだたくさんあります。例を挙げると、
①どうでもいいプロブレム&ソリューション・・・「わ、困った、どうしよう?」「大丈夫! そんなときにはコレ!」という文脈のCM。とてもくだらないですね。
②予定調和の願望叶える物語・・・「こんなものがあったらなぁ、あるわけないよなぁ」「それ、あります!」という文脈のCM。これも超絶くだらないですね。
③タレントが社員や店員に扮するリアリティ0の再現CM・・・不動産会社の仲介スタッフをタレントが演じるようなもの。そもそもタレントは社員でもスタッフでもないし、お店に行ってもそのタレントはいない。お金貰ってお芝居してるだけ。そこにリアリティなど皆無です。
④無責任なタレント広告・・・タレントが商品を使用し推奨しているかのような誤解を与える広告・・・松たか子は絶対に山パンなんか食べてないし、キムタクはカローラに乗っていない。トヨタのCMに出演していたキムタクはその後、日産のCMに出演しているという無節操。こういうことを許してはいけません。お酒の飲めない漫才コンビがビールのCMに出ていたこともあった。広告の顔として登場するならせめてその商品やサービスを試すとか使用するとか、そのくらいの義理はあってもいいのではないでしょうか。そういうわけでタレント広告は廃止したほうがいいと思います。
⑤絶対流行らないキャンペーンネームと絶対誰も歌わないCMソング・・・短くすればキャッチフレーズになるわけではありません。誰もがピンと来ていない「スマドリ」が早晩記憶の彼方に葬られるのは明白。替え歌にすれば人が歌ってくれるわけではありません。「🎵クリアアサヒが~」なんて誰も歌いません。時代錯誤です。
これからの広告作法としては、タレントを使うくらいならキャラクターを使ったほうがマシ。でも、キャラクターも飽和状態なので上手く行くとは限りません。企業内や店内を描きたいなら実際の社員やスタッフがやるべきです。リアルな人を描くことでリアリティが出ます。広告もドキュメンタリーであるべきです。扱っているのは、ただでさえ嘘ばかりの企業情報やフェイク商品です。そこにいる人だけでも本物を見せましょうよ。
正月に見ていて、いいなと思った広告映像は、東京ガスとDHC(フェンシングの江村美咲さんとタレントが出ているもの)。東京ガスはきちんと生活者目線のいい映像を制作しています。DHCはひとえに江村選手の魅力。一緒に出ていた男性タレントは誰でもよかった。それでも、この映像には惹きつける魅力があった。
しかしながら、だからと言って、電気じゃなくて東京ガスに替えようとか、DHCの商品を何か買おうという気持ちにはならない。こんなに魅力的な映像を作ってもだ。つまり、広告映像は販売促進には与さない、もう無用の長物なのだ。まあ、何かしら発信することで企業カルチャーみたいなものをPRできればそれでよし、という戦略なら構わないが。それでも、そんな映像を制作してOAしてタレントのギャラを払ったら1億や2億では済まない。そんな金があるなら商品の値段を下げて、社員の給料を上げてやれ、と言いたくなる。
もうどっちにしろ、広告は終焉を迎えていて、広告が終焉を迎えているということはマスメディアも終焉を迎えているということです。