小学校のあだ名禁止について
あだ名がいじめにつながるということで、小学校では「あだ名禁止」になった。たしかに、変なあだ名をつける子はいる。太っている子に「ブタ子」なんてあだ名は、つけられたほうは気分が悪い。
ここまでは正論。
で、この正論のままそれをルール化しようとするのが思考停止なのだ。
「あだ名禁止」とは言え、すべてのあだ名が根絶したわけではない。子どもは先生に聞かれたら叱られるから、先生のいるところでは言わないけど、先生のいないところではあだ名を使っている。そのほうが陰湿だよね。
臭いものに蓋ばかりしてるから根本的にいじめは解決しないのだ。
あだ名はあってもいいと思います。
それでお互いの距離が縮まるなら。
そうじゃないときどうするか?
そこが教師の腕の見せどころ、頭の使いどころですよ。
コミュニケーションの深化。とことん話し合い。しかありません。
「今日、〇〇くんがあたしのことを××って呼びました」
先生が、「それはダメですよ!」と言うのではなくて、なぜいけないか子どもどうしで話し合いをさせましょう。
・××と言われてどう感じたか?
・××と言われて、他の人はどう思うか?
・××と言った人は、どう思いでそう言ったのか?
・××と言われた人は、どう感じたか?
・じゃあ、どう呼ばれたら気分が良いのか?
を当事者含め、クラス全員で話し合うのです。
そして、そういうあだ名は良くない。じゃあ、どうすれば良かったかまで議論を発展させましょう。
そうすれば子どもたちも考えます。
子どもに考えさせないで、これは良し、これはダメと大人が断じてはいけません。
クラスのルールも、大人が決めるのではなくて子どもたちがつくったほうが良いです。そして、問題が起こったごとにルールを整備していけば良いのです。成文法ではなく判例法の手法です。
そこで思考力と思いやりを養うのです。
クラスごとにルールが違っても良いと思います。
とにかく。
大人は子どもの思考力を奪うことばかりします。
大人は時間をかけて子どもの思考力を養うことが大事なのです。思考力を養うことは思いやりの心も育てます。
そこはじっくりと。
大人の忍耐力が試されるところです。