『変身』
大阪公演二日目のライブについての感想です。
HYPEが中止になってから二年半のあいだ、
米津さんはMVのなかで大笑いし、
キメ顔で夜空に飛んでいき、
どっぷりラブソングを歌ったかと思えば落語家になり、
オレンジの髪とワンピース姿で踊っていた。
変わり続ける米津さんの姿は驚きの連続だった。
それに比べて私はというと、
ただただ何の変哲もない毎日を繰り返していた。
楽しかったはずの思い出や記憶が曖昧なのは、
いつもコロナが怖くて
不安が付きまとっていたからだろう。
誰かと一緒に何かを楽しむことを
心の底からできない自分に嫌気がさしていたし、
人との距離感がわからず傷つきやすく、
考えすぎですぐ疲れてしまうのも相変わらずだった。
そんな変わることのない生活と自分に、
うんざりしていた。
だから米津さんに会えば、
何かが変わるかもしれないと思った。
今回のツアータイトルは、『変身』。
変身した米津さんがどんな姿で、どんなふうに歌い、
どんな言葉を語るのか。
期待と緊張のなか、私は米津さんに会いに行った。
大阪公演二日目。
オープニングは『ETA』の電子音。
スクリーンに映し出されたのは、
誰もいない地下駐車場。
NIGIちゃんが車のトランクを漁り、
ようやく見つけた青いジョウロを手にしながら、
エレベーターに乗った。
エレベーターが目的の階に到着し、扉が開き、
舞台中央に現れたのは、
"ジョウロを手にした米津玄師"だった。
観客の大きな拍手のなか、
ジョウロ片手に『POPSONG』を足取り軽く歌い始める。
"君だけの歌歌ってくれ"
"それもまた全部くだらねぇ"(『POPSONG』)
クラリネットの軽快な音色が響くなか、
過去に米津さんが話していたことを思い出した。
「"くだらない"という言葉には
ネガティブな側面もあるけど、同時に救いのある言葉。」
「何をやったところで大した意味もないんだから
肩肘張らずに生きていこうと思える。」
「人生そのものがくだらないなら、
もう少し有意義に生きてやろうというふうに思える。」(『SWITCH VOL.40 NO.3 MAR.2022』より)
米津さんは昔から、"両義性のある言葉が好きだ"
と言っていた。
あるフォロワーさんがツイートしていたのだが、
やっぱりこのツアーのキャラクターNIGIちゃんは、
この言葉(二義、両義性)から名付けられたのかもしれない。
鋭い爪や大きな口からはみ出る牙が
怪獣のような風貌なのに、
長い手と短い足のアンバランスさ、
フワフワの体毛、ふくよかな体つき、
にっこり笑っている表情が、
ユーモアと愛らしさに溢れている。
そんなNIGIちゃんと自分に共通するものを感じて
親しみがわいてくる。
嫌なことを言われてもにこにこ笑っていられるのに、
心はとても怒っている。
どこにも行きたくないと閉じ籠っているけれど、
遠くに行きたいと願っている。
集団の騒がしさが鬱陶しいくせに、
ひとりになると寂しくて孤独だと泣いている。
大丈夫だよと支えるふりをして、
自分が一番不安でこわがっている。
人が見せる部分と隠している部分、
他者から表層的に見える部分と見えない部分には、
異なる事実が存在していて、
どれが本当でどれが嘘かなんて決めつけることは
誰にもできない。
そして、ありのままの自分とか、
本当の私なんてものはあり得ないのかもしれない。
正しさも間違いも、美しさも醜さも、
善も悪も、自分の都合でしか判断できず、
だからこそ、世の中の争いごとはなくならない。
自分勝手な視点でしか都合よく解釈しないから
喧嘩が絶えないのだ。
米津さんは途中、こんなことを話した。
「みんなマスクして少しばかり窮屈だけどさ。
声出せなかろうが、手拍子や拍手しかダメっていう
制限なんてたいしたことないんだよ。
やってらんねぇ!ってな(笑)。
一緒に何々しましょうなんてどうでもいい、
知ったこっちゃねぇんだよ、ばか野郎っつってね(笑)。
自分がやりたいことをやればいいんだよ。
どうせ明日には嫌なことがくるんだからさ、
今夜くらいは一緒に楽しくいきましょうや。
"今夜くらいは楽しく生きる"…うんいい言葉だな(笑)。
今後の俺の標語にしよう。
だから今夜みたいな楽しい一日があれば、
どんな嫌なことがあっても生きていけるだろうから。
そんな一日を作れたらなと思っています。」
人差し指を天井に向けながら、『アンビリーバーズ』を歌った。
"それでも僕ら空を飛ぼうと夢を見て朝をつないでいく
全て受け止めて一緒に笑おうか"
"遠くで光る街明かりにさよならをして前を向こう"
"どんな場所に辿り着こうとゲラゲラ笑ってやろうぜ"
(『アンビリーバーズ』)
コロナが蔓延してから、ずっと聴いていた。いつか再開したライブで一番聴きたい曲だった。
僕らは私たちは、この"米津玄師"という舟に乗ってきた。米津さんが昔からずっと言い続けてきた
「遠くへ行きたい」の"遠く"を一緒に目指している。
"もう一度遠くへ行け遠くへ行けと僕のなかで誰かが歌う どうしようもないほど熱烈に"
(『ピースサイン』)
会場のほとんどの人がピースサインを掲げていた。
米津玄師という音楽家を愛する大勢の人たちが
ここに集まり、同じ目的を持ち、
同じ時間に彼の音楽を聴いている。
『カナリヤ』で涙を流す隣の男の子がいて、
『海の幽霊』で眼鏡を外して涙を拭く人がいて、
『アイネクライネ』で嬉しくて口元を押さえる人がいて、
『ピースサイン』で泣きまくる私がいるように、
米津さんの音楽が好きだという理由やきっかけは
それぞれに違うけれど、
どこか似たような感情を持っているからこそ、
ここに集まっているのだろう。
そんな人々で埋め尽くされているこの景色が
とてもとても美しかった。
そして、「最後の曲になります。新曲です。」
と言い、
バキバキのロックなギターサウンドが鳴り響いた。
『KICK BACK』
会場全体が一気に盛り上がる。
不意に漏れ出たいくつかの歓声が、
バリバリと歌う米津さんの声に掻き消されていく。
頭を髪を振り乱し、マイク片手に暴れる米津さんを
私は初めて見た。
そして、自分でカメラを手に持ち、
自分自身を撮しながら歌いまくっていた。
そして、スクリーンに映し出された米津さんの顔に、
おそらく会場の誰もが釘付けになっていただろう。
なぜなら、米津さんの右目が見えていたからだ。
いや、米津さんは自分の右目を、両目を、
わざとかのように見せつけていた。
真っ黒でギラギラ光る両方の瞳から、
彼の熱い意志が伝わってくるようだった。
"努力!未来!a beautiful star!"
会場が一丸となり手を掲げて繰り返しリズムに乗った。
あっという間の時間だった。
「ヨネヅすげえな」「えっぐー!」「カッケー!」
背後から聴こえてくるたくさんの声が、
興奮した私の頭を冷ましてくれた。
なるほど…。これが米津玄師の『変身』した
今回の最終形態なのか?
なぜか、笑いたいような泣きたいような
訳のわからない感情が込み上げてきた。
"長い前髪で前が見えねぇ"(『LOSER』)なんて
自虐的に歌いながらも、
いつも大切な何かを守るように右目を隠していた。
そんな米津さんが両目をしっかりと見開き、
これでもかと言わんばかりにモニターに近づき、
自分の顔を、目を、観客に見せつけていた。
米津さんが大切に守ってきたと思っていたものは、
私がそう思っていただけなのかも知れない。
そんな拘りはとうの昔に捨てていたかもしれないし、
そもそも拘りなんてものではなくて、
何か別の意味があったのかも知れない。
やはり、表層的に見えるものだけが真実ではない
ということを、改めて思い知らされた。
おそらくファンにとっては歴史に残るくらい
驚くべき出来事であっただろうが、
米津さんにとってはそれほど大したことではなかった
のかもしれないし、
実際のところは米津さん自身にしかわからない。
どちらにしろ、長い前髪に拘っていたのは
私自身だったことに気付き、
なんか面白いなぁとフッと笑ってしまった。
そしてアンコール。米津さんは裸足になっていた。
"羽が生えるような身軽さが君に宿り続けますように"
"君が安らかな夢のなか眠り続けられますように"
"声が出せるような喜びが君に宿り続けますように"
"君が望むならその歌は誰かの夢に繋がるだろう"
(『ゆめうつつ』)
シャボン玉が飛び交う舞台を裸足でくるくる回り、
微笑むその背中には、
本当に羽が生えていように軽やかだった。
ニュース番組のエンディングテーマとして作られ、
「怒りのなかで書いた」というこの曲が、
いまは解放感に満ち溢れた曲に聴こえて驚いた。
そして、こんなラフなスタイルで歌う姿もまた、
米津さんの変身した姿なのかもしれない。
"どうせいつかは風に溶け消えるならば今夜くらいは"
(『ゆめうつつ』)
さきほどの言葉と重なった。
「どうせ明日には嫌なことがまたやってくる。
だから今夜くらいは楽しく生きよう。」
アンコール最後の曲『M八七』を歌い終わると、
米津さんは舞台からエレベーターに乗るように消えた。
静まり返る会場のスクリーンに再びNIGIちゃんが現れ、
エンドロールと共に『ETA』が流れ始める。
"さあ起きて 子供たち
今日はこの庭を綺麗な花で飾りましょう"
"もうおやすみ 子供たち
どうか安らかな夢で眠れますように"
"Wake Up! Wake Up!……"
(『ETA』)
見渡した会場には、鮮やかな花が生き生きと
咲いているようだった。
オープニングで持っていたジョウロで水を撒くように、
米津さんはこの庭で歌をうたい、笑い、
時に髪を振り乱し、裸足でくるくると回っていた。
ETA=到着予定時刻。
この米津玄師という舟は、どこに向かうのだろう。
米津さんの目指す「遠く」に到着するのは
いつなのだろう。
できればまだまだ乗り続けていたいから、
まだまだ到着してほしくない。
そして私の人生の遺された時間、
人生の到着時刻はいつなのだろう。
それは誰にもわからない。
だからこそ、米津玄師という舟に乗り続けながら、
人生を楽しみたいと思った。
結局今回、私自身は変身できたのだろうか。
変身したのか、いや、できるのか。
けれども、米津さんの変身した姿を見ると、
「気楽に楽しく生きていきたいな」と思えた。
さあさあ今日も、米津玄師という舟に乗りましょう。
この舟は、たまに突拍子もなく暴走するときが
あるからね、HENSHINベルトをしっかり締めるのを
忘れずに。
疲れたら音楽を聴きながら眠りにつき、
安らかな夢を見て、起きたら庭に水を撒きましょう。
そうして働いて、ご飯を食べて、眠って、また起きて。
しょうもないと思える繰り返しの生活にこそ、
ユーモアをたっぷりと忘れずに。
もし「変われない」ともがき苦しむときは、
ちょびっとだけ、米津さんみたいな勇気を持ちましょう。
そうして最期に、
"全部くだらねぇ!"って両手を広げてにっこり笑えたら、
最高に素晴らしい人生じゃないか!!
いつもありがとう、米津さん。