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TOUR空想(前編)

 2023年4月22日から始まった米津玄師ツアー『空想』。それは、少年が描いてきた物語をなぞるような、優しくて切なくて美しい世界だった。



 オープニング。会場にオルゴールの深い音色が響く。どこか懐かしいメロディと、儚い音に耳を澄ましながら、私の心は次第に、深い音色と共に落ちていく。
 米津玄師の描く『空想』の世界へ。

 静寂のなか始まった情熱的な前奏に、私は息を呑んだ。『カムパネルラ』がライブで歌われるのは初めてだ。スクリーンに描かれた銀河鉄道から下車するように、米津さんが舞台に降り立った。夢と生が対比する、儚くて残酷な歌詞を、彼は強く美しい声で歌った。

 続けて歌われた『迷える羊』は、演者のように米津さんが高らかに歌う。まるで、ひとつの演劇舞台を観ているかのようだ。コロナ対策が緩和され、漸く私たちは、このライブで声を出すことを許された。私たちの新しい物語が始まった。
 
 「神戸―!!元気かー!!」米津さんの掛け声と共に始まった『感電』。客席から久しぶりの歓声が上がる。誰かと同じ瞬間に声を出し、同じ瞬間に手を挙げる。その重なり合うタイミングが感電するということなら、それはとても美しくて刺激的な瞬間だと感じた。

 挨拶のあと、スネアドラムのリズムに合わせ、白い天井と両側の壁が舞台中央へとゆっくり移動する。初めて聴く『街』。dioramaを作った当初、「箱庭的な“街”の世界観を作りあげたかった」と話していたように、この舞台の形状も箱庭のようだ。「僕は他人とうまくコミュニケーションを取ることができない」と、孤独な箱庭で描いてきた空想の世界が、今ではこんなにも大きく広がっていた。

 続くアコーディオンの前奏『décolleté』。喧騒な日常の倦怠感や皮肉を、気品溢れる女性が歌っているかのようだ。白くて長い人差し指を真っ直ぐ伸ばし、首を傾げ、時折マイクをぶらぶらと振り回し、気怠そうに歌う米津さんに魅了された。
 夜の窓辺、女性が空を見上げている姿を想像した。米津さんの空想の世界は、しなやかで美しい。

 そんな情景から一転し、『優しい人』が現実へと引き戻す。少年が大人から教わった優しさは、果たして本当の正しさなのだろうか。
 “あなたみたいに優しく生きられたならよかったな”という想いは、切なく悲しく、どこか怒りを感じるような苦しさがある。マイクを両手に包み込み、歌詞を噛み締めるように目を閉じながら歌う姿が、印象的だった。

 そして、静かなストリングスの前奏から始まった『Lemon』。残酷な現実から救いを求めるように歌う。スクリーンに映る教会が、砂のように崩れ落ちていき、最後はそれらがひとつに纏まり、大きなクリスタルとなって輝いた。「自分の音楽は、目には見えなくなってしまったものを、目に見える、音に聴こえるものにしたい」と言っていたように、彼の音楽は、失くしかけた大切な記憶を蘇らせてくれる。
 
 そして『M八七』が始まった瞬間、会場から大きな歓声が湧き起こった。 “痛みを知るただひとりであれ”という強い歌詞が、孤独や傷を背負いながら生きる人たちを肯定してくれる。米津さんが少年だった頃、物語のヒーローから受け取った「祝福」が、こうして音楽となって、聴く人に寄り添い、力を与える。
 天井を見上げると、無数の星が輝いていた。米津さんの音楽は、暗闇に輝く星のようだと思った。
 

 曲が終わり、今夢中になっている“マインスイーパー”というゲームの話しになった。
 ゲームの世界と現実が混乱した状況を楽しそうに話し、締め切りが迫ってる危機的状況に「詰んでるんですよ!!!」と言い放つ。会場全体が、大きな笑いに包まれた。「凄腕爆弾処理班が気づいたら爆弾に囲まれていた。ざまーねーな!ですよ」と饒舌に話す姿に、客席から思わず拍手がこぼれた。

 「私の人生いっつもこんな感じ!って時に作った曲です。聴いてください。」で始まった『LOSER』。
 “もう一回もう一回行こうぜ僕らの声” のあとに、「フーッ!!」と客席が盛り上がる。“聴こえてるなら声出していこうぜ”という呼びかけに、大きな歓声が湧き起こった。
 負け犬だからこそ出せる声がある。「ふぉっふぉっふぉっふぉー!!」と笑う最後の声が、ちょっと不気味で、悪戯っぽくて、最高にかっこよかった。

 興奮した余韻を残した暗転のなか、静かにギターを肩に掛け、ひと呼吸置いて始まった『Nighthawks』。
   今の“僕”が、こんなにも大きな舞台でギターを弾きながら歌っていることを、少年の“君”はどんなふうに感じているのだろうか。
 間奏では、少年がよく聴いていたBUMP OF CHICKENの『天体観測』のギターリフが鳴った。“お前は大丈夫だってそう聴こえたんだ”と優しく語りかけるように歌う。
 最後のサビでは、銀テープが放たれた。光を反射して輝きながら、ゆらゆら降りてくるテープを見上げながら私は手を伸ばした。
 この手の先にある、幼い頃の私の手を掴んで言ってやりたい。「あなたは未来で、とても優しい音楽に出会えるから大丈夫だよ」と。

 そして、エレキギターのリフで始まった『ひまわり』。俯きながら頭を振り、一心にギターを掻き鳴らし、鋭い眼差しで噛み付くように歌う米津さんの姿を、私は只々、祈るように見つめていた。
 ハチくーんという優しい声がどこかから聴こえてくる。彼の親友は、いつもこの曲のなかで生きている。このツアーが終わる頃には、夏が始まる。空想の世界では、共にお酒を飲み、音楽を聴き、他愛もない話しができる。そんな穏やかな夏を、過ごせますように。

 「神戸まだまだいけるかーっっ!!1.2.3!!」掛け声と中毒性あるイントロで始まった『ゴーゴー幽霊船』。観客の熱気が更に高まる。舞台からは白い煙が立ち上がり、まるで幽霊船が登場してくるようだ。そして、「愛されたい」「私はここにいる」と、声を出せない幽霊たちが、米津玄師という船に乗って行進する。
 “前も後ろもいよいよない なら全部忘れて” の後に観客が「ワアワアワアワア!!!!」と声を上げた。客席の手拍子もどんどん大きくなっていき、最後はぶつっと曲が閉じた。
 夢から醒めた幽霊たちが、大きな歓声と拍手を贈った。

 低いベース音が鳴り、舞台が真っ赤な照明に染まる。燃える炎と、洗脳的なフレーズの『KICK BACK』。
 
狂ったように頭と腕を振り、乱れた長い髪から時折覗く
ニヤリとした妖艶な笑みが、不気味で美しい。
 足元のカメラを手に取り、顔にかかった前髪を指で左右に分けてから、鋭い両眼でレンズを真っ直ぐ見据えた。
 長い前髪で眼を隠しているよりも、こうして両眼を見せつけている方が、不良っぽさを感じてしまう。米津さんは主人公デンジのように、何かを掴むために何かを手放したのだろうか。
 顔にかかった長い前髪を、天を仰ぎながら振り分ける姿が印象的だった。

(後編へ続く)