時々憎たらしいけど、可愛いです
環の会ではテリングをしながら子どもと向き合っていくことを大切にしています。
テリングとは、育て親が、産みの親の存在や自分たち 家族の成り立ちについて、迎えた時から子ども本人に伝え続け、また、子どもの思いに耳を傾け続けることです。
テリングをして子どもを育ててきたお母さんの投稿
我が家の息子は高校2年生の16 歳 。生意気な思春期Boyです。最近テリングについて話す事はあまりありません。もうそういった時期は過ぎたのだと思います。そこで、昔はどうだったかなと思い返してみました。
我が家で話してたことは、ママは産んでくれたお母さん。かーたんはいつも一緒にいるお母さん。息子はお母さん二人でいいね!っていうことでした。
説明会やシンポジウムに一緒に行ったりして、自然にテリングしていったと思います。
私は昔、子どもが小さいうちはテリングを素直に聞いてくれてても、段々大きくなると、血の繋がりがないことを本人が気にしたり、悩んだりするのか?ということが心配でした。
環の会の先輩ママさんに、子どもが遠慮したり、将来「本当の親じゃないくせに!」なんて言ったらどうしようと相談した事もありました。
先輩ママさんは、遠慮なんてしないし、本当の親じゃないくせにって言ってくるけど全然平気だからと言い、実際に親子喧嘩で息子に「本当の親じゃないくせに!」と言われた時はもうすっかり平気になっていて「だから?それがどーかした?」って言いました(笑)。
今思えば、それは親子として信頼関係があるからこそ息子が安心して言えた言葉なのではないかと思います。その話題が家庭内でタブーだったら逆に口に出せない言葉だったかもしれません。
ちなみに最近では親子喧嘩すると「かーたんが好きで俺を授かったんでしょ!」(自分で授かったって言うなよ)と言います(笑)。
数年前、環の会の説明会に参加した時、参加者の方が大きくなった子どもが今どう考えてるのか知りたいと言う事で、午後の部で当日参加していた息子を含めた数人の子どもがお話しすることになりました。そこで息子が答えたのはただ一言「何も考えてません」(笑)。
昔私が色々心配していた事は杞憂で、息子にとっては、この家族のあり方が普通で、自然で、当たり前。だから日常において何も考えることはないということでした。
こうして我が家のテリングは自然に終了していたように思います。息子が中学生になる時、環の会を通じて産みのお母さんに息子が書いた手紙を渡していただきました。その手紙には「ぼくは今すごく幸せです。ぼくを生んでくれてありがとう」と書いてありました。
息子に、もしかーたんが産んでも環の会で迎えても子どもは俺だったよと言われ、どうして?と聞くと運命だからと。
「俺でラッキーだった?」と聞かれた事もあります。答えはもちろん!
昔、(環の会の創設者の一人の)横田さんに「子どもは可愛いだけじゃないのよ」と言われました。
横田さん、子どもが大きくなるにつれ親子喧嘩や受験、思春期と本当に嵐のよう。時々憎たらしいけど、それでもやっぱ可愛いです(笑)。