こゝろを読んで自殺について思うこと
今週はたまたま地元の病院で実習があったため、島に帰っていました。結局コロナの感染者が急増して実習はできなくなった+台風が近付いていて天気も悪かったので、実家にあった本を読むことにしました。
選んだのは夏目漱石のこゝろ。多分中学生ぐらいで一回読んだのですが、改めて読んでみようと・・・。再度読み終わった今、中学生の私に理解できるわけねぇ内容でした😅
ここでは『こゝろ』の読書感想文的なものを書くつもりはありません。自殺について私の思うことを書きたいのです。
note始めたてで立て続けに重たい内容ばかりですが、書きたいことがありすぎるのです。今まで溜まっていたものを言語化させてください。
■大好きな親友の自殺
約1年前、大好きな親友けーちゃん(仮)が自殺しました。私が最も青春していた高校の部活の同期の男の子です。異性ですが仲がとてもよく、そこそこの進学校に通っていた私たちは部活後に毎日一緒に市民図書館に行き一緒に勉強、閉館後も家まで二人で一緒に帰るほどでした。ファミレスで喋りだすと軽く5時間は経過します笑
私は恋愛感情ではなく人として本当に彼が大好きでした。
そんな彼は約1年前、突然亡くなりました。理由はわかりません。いろんな事を言う人がいましたが、彼に対する私の愛情と友情から、詳しくは書きません。何が理由かなんて本人にしか分からないし、本人もわからないかもしれないから、彼以外の誰の言葉も真に受けないようにしています。
■自ら命をたつ事をどうとらえるか
けーちゃんの死を受け入れることが今でもできているかは分かりませんが、今日に至るまでどのように受け入れようとしたかと言うことを書きます。
最初はただただ悲しかった。そして、そこまで追い込まれるまでに「わのなら俺の話聞いてくれるかも。」と思ってはくれなかったんだろうかという、自分を責めるようなけーちゃんを責めるような気持ちもありました。
数ヶ月後、ご家族とゆっくり話す機会があり、家族や他の同級生の悲しみにも触れ、なんでこんなバカなことをしたんだ。みんなを悲しませて。という気持ちもありました。
そんな中、私は終末期医療への興味からそれに関する小説を読みました。残された時間を懸命に生きる末期癌の患者さんなどが多く描かれている中、唯一自ら命を終わらせた患者さんのお話がありました。その患者さんは、病気のために自由を失い、麻酔も効かない痛みに一日中悶え苦しみ、そのために愛する家族にも優しくできない自分を責め、最後は自ら命を終わらせたのでした。
それを読んで私は、「けーちゃんも逃れられない苦しみがあったのかな。それなら今までよく頑張ったね。けーちゃんが今後悔してないなら私はもう責めないよ。」という気持ちになりました。
■こゝろを読んで
今でも高校時代の友達とけーちゃんの話になると、様々な意見が出ます。でも私はもう全くけーちゃんを責める気持ちはないのです。
『こゝろ』の中でも、先生は自殺する直前まで奥さんの事を愛していたし、最後まで奥さんの事を思っていました。けーちゃんだって、自分が苦しみから逃れたいことだけを考えていたのではないかもしれません。
自分勝手な死に思われるかもしれませんが、他人に常に気を配り、家族思いだったけーちゃんです。きっと家族や友達を悲しませる事だって分かっていたはず。それでも最期、いつも自分は後回しなけーちゃんが自分のために取った行動がそれなら、私はよく頑張ったねとだけ言いたいです。もう会えないのは悲しいし、今もし死んだこと後悔してるならもっと悲しいし、後悔してないなら良かったというわけでは絶対ないけど、「先生」の心の中の闇が奥さんにさえ分からなかったように、けーちゃんの心の中がわかる人なんていないのだから、私の想像力の限界まで考えた結果、私がけーちゃんに今伝えたいのは「頑張ったね、いつかまた会おうね、大好き。」です。
■自殺についての考え
とはいえ、これまで書いたことは「どう受け入れるか」の話であり、自殺をする人がいなくなるのが一番だと思っています。
友達も多く、家族とも仲がよかったけーちゃんでさえ亡くなってしまった。あまり人に言えない悩みを聞かせてくれたこともある私にも話せなかった悩みがあった。ではどうしたら、そんな人たちを見つけ、本当に逃れられないような状況になる前に引っ張り出してあげられるのか、今も考え中です。
将来の医師として、誰かの友達として、けーちゃんの出来事を無駄にしたくないと思っています。