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雑記:終わるも続くも愛


 高校生の部活動(競技)に情熱をかけた、儚くも眩しいわずか3年もない日々を切り取ったアニメが好きだ。

 2023年の冬アニメは、『ツルネ-つながりの一射-』を観た。
京都アニメーション製作の、弓道に情熱をかける男子高校生たちの話だ。本作はシリーズの第2期にあたるが、私は4年前に放送された1期からずっと観続けているファンではなく、2022年に公開された映画に合わせて一気見という形で視聴を始めた一視聴者に過ぎない。
1期の視聴後、弓を引く時は誰しもが1人だけど、団体戦において弓道は1人の競技ではなく、チームメイトとの繋がりが結果に大きく影響するのだと、弓道未経験でありながらなんとなく思ったことは記憶に新しい。

 そんなただの視聴者が、1期の12話『繋がりの一射』視聴直後に泣いた。
主人公の弓を引く姿に何故か「最後」を感じてしまったのだ。彼らはまだ高校1年生で、引退までの時間は少なくない。もしかしたら、高校卒業後も弓を引いているかもしれない。それでも、全国大会で見せた一射には、これが最後だと言わんばかりの、主人公・成宮湊の繋がりを見せる演出が成されていた。この他にも、op・ed無し、サブタイトル前に登場人物一人一人の表情のアップなど、全ての美麗な演出が視聴者に「これで終わる」と予感させるのだ。(余談だが、Aパート冒頭は『Free!DF』12話を彷彿とさせましたね)

 あまりの寂しさに、気づけば「終わるな…」と泣いていたのだ。もっともっと彼らの紡いでいく物語が見たい。彼らが弓を引いている姿を見たい。二階堂永亮の新規カットが見たい。これから学年が上がれば、進路という逃れられない問題に直面する。別れという選択肢が与えられた彼らは、一体何を考え、葛藤し、どのような結論を導き出すのか。
そもそも、本当に終わるのかも分からない。湊は「ずっと引いていたい」と考えていたし、最終話にあたる13話で、彼らは何度も「またね」と言葉を交わしていた。これはアニメーションとして続くという暗示なのだろうか。はたまた、「彼らの日々はこれからも続いていくよ」という京アニからの優しさなのか。

 正直に言うと、私は3期まで続けばいいなと思っている。二階堂永亮の新規カットだって見られるし。だがしかし、それを軽率に口走ることが出来ないほど、2期の幕引きは完璧であったとも思う。少年ジャンプの「俺たちの戦いはここからだ!」ではないが、全国大会で敗退した湊たちには新たな目標が出来た。愁はどこか今まで距離を感じていた両親との関係を築きはじめ、二階堂は呪いから解放されて本当の自分の気持ちを胸に新たなスタートを切った。視聴者が原作既読であれば彼らは原作で描かれた道を行くかもしれないし、未読であれば「こうだったらいいな」と彼らの未来がより良いものであるよう想像することが出来る。

 少々メタい話になるが、これから続編が製作されるとして、もしその舞台を1年後とするならば、後輩が入学・入部をしてくるだろう。新キャラクターの登場だ。私は、シリーズが長く続くことおいて難しいなと感じてしまう点は、続けば続くほど増えていくキャラクターの収拾がつかなくなってしまうところにあると思う。増えた登場人物同士の接点を作り、相関図にすると、フィクションであるということを前提にしても、スポーツをするアニメーションであるという現実味からやや離れてしまい、雑念が紛れ込んで、一歩引いてしまうのだ。(「いや、ここ出会う必要あった!?」「そんなにしょっちゅうばったり会うわけないだろ!」など)もちろん、接点を持たせることも優しさからくるものであるということを(勝手に)理解している(気になっている)し、2期から登場する新キャラクターに心を射抜かれている分際で何のこっちゃという話だが、後出し設定によって辻褄が合わなくなり、物語の本分に集中できなくなってしまい、面白さが低減するという話は少なくない。


 つまり、この物語がアニメーションとして続こうが続かなかろうが、とことん続きを見せようという選択も、未来に希望を抱いている状態で主人公たちのこれからを視聴者に委ねようとする選択も、どちらを選んでもそれは製作者からの愛なのだ。

寂しくないと言えば嘘になる。それでも、心に残り続けるアニメというのは、常に視聴者と共に並んで歩く物語だけでなく、長い長い物語の1ページを切り取ったような、胸の奥深くに大事にしまっておく物語でもあるだろう。
すると、不思議なことに青春の断片に思いを馳せながら生きる日々も悪くないと思えるのである。


   最後に、京アニが生んだ私を狂わせているとんでもねえキャラクターの詳細を貼っておしまいとします。



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