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雑記:「風呂は命の洗濯よ。」←嘘すぎる


 風呂が嫌いだ。

 その証拠に、私はスマホのロック画面を、テレビアニメ『チェーンソーマン』のある1コマの画像に設定している。 

 入浴を面倒くさがる自分を他人が咎めるという状況を強制的に作ることで、どんなに面倒くさくても風呂に入ることが出来るという作戦だ。我ながらよく考えたなと思う。
 しかし、この画像をロック画面に設定した瞬間から、これはただの茶番に過ぎないと気付いていた。私は臭くないし、パワーのように「風呂はたまにしか入らん派」ではない。ほぼ毎日入っている。この作戦はわずか3日で散った。


 風呂に入ることの何がそんなに嫌なのか?

 風呂は命の洗濯だ。ミサトさんだってそう言っている。身体についた汚れを落とすだけでなく、日々の疲れやストレスから解放され、心身の疲れを癒す時間。
 これに対し、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公、碇シンジくんはこう考えている。

 「でも…風呂って嫌なことを思い出す方が多いよな」

 まさしくそう。

 風呂に入るとどうしても嫌なことを思い出したり、これから起こる面倒ごとについてばかり考えてしまう。
 あの狭い空間には、「やるべきこと」が大量に詰まっている。シャンプーで髪を洗い、コンディショナーを馴染ませ、顔を洗い、身体を洗わなければならない。まさに「やるべきこと」の巣窟。
 恐ろしいことに、「やるべきこと」は風呂の中だけでは終わらない。化粧を落として服を脱ぎ、やっと風呂に入ったかと思えば、一度濡らした髪を風呂から出た後に乾かさなければならない。多すぎる。1日を振り返りながら己の行いを反省して、もうすぐやって来る明日の生き方について考え、なんとなく憂鬱な気分になった状態で、そんな膨大な量のタスクの消費など出来るものか。
 そして、最終的にはこれから待ち受けている「やるべきこと」の多さに怯んで、その場から動けなくなったまま浸かっていた湯船が冷え切って「寒いな…」感じた時に初めて経過した時間に気付くのだ。

 23時に入ったはずが、気が付くと深夜1時。日付を超えてから入ろうものなら、風呂から出て布団に入る時には深夜3時を回っている。深夜3時過ぎに就寝すれば、当然ながら睡眠不足で翌日の自分に体力的にも精神的にも支障が出てしまう。
 精神に支障が出た状態で風呂に入って、その後どうなるかはお察しの通りである。

 …ミサトさん、「命の洗濯」どころか心が淀んで、とんだ悪循環が生まれているんですが。

  ああ、今日もまた日が暮れる。帰宅した瞬間から「風呂に入らねば」という義務感が背後に常に付き纏い、それが一層私を憂鬱にさせる。1日中家を出なくても良い日がそろそろ必要だ。そうすれば風呂に入らず済むというのに。

 今日は何時くらいになったら風呂に入ろうかね……。


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