食べても食べても足りないの
亡き父は、
食欲が洋服を着て歩いているような人だった。
若い頃は毎晩のように中の瓶ビールを一本空け、
それと共におつまみを食べたいだけ食べていた。
甘い物も大好き。
とにかくよく食べた。
というより、食い意地が張っていた。
例えば、一箱5個入りのお菓子があったとして。
5人家族だから一人一個ね、というような考えは父にはない。美味しかったら、本能のままに2個3個と食べてしまう人だった。
で、当然ながら家族(主に母)からは大ブーイング、誹謗中傷の嵐。
あったらあるだけ食べてしまうからと、母が冷蔵庫や冷凍庫の見えにくいところに隠して置いてみる。すると、ちゃんと見つけて掘り返して食べてある。
ご丁寧に「隠してもバレる」とメモまで置いてあったらしい。
また母は怒る。
(隠した後ろめたさとバレた後味の悪さと、挑戦的なメモ。母の心中を想像するだけで笑える)
そんなことが日常茶飯事だった我が家。
以前、姉と訪れた美術館で「七つの大罪」がテーマの絵画を観た時。
その中に改めて【大食】を見つけ、
あぁ父はさんざん大罪を犯していたんだわと感じ入ったのだった‥。
そういや地獄の中に
「食べても食べても満たされない餓鬼地獄」ってあるらしい。父、落ちてないよね。笑
老年期になってからも父の食欲は止まらなかった。
大好きなものは基本どんぶり鉢で。
気に入ったジュースやコーヒー牛乳、
はたまた自分で作るアイスクリームもどきなんかも全てどんぶり鉢で飲んだり食べたりしていた。
そりゃ病気にもなるってばよ‥。
病床にあっても、父の食事に対する執着はとことんまで残った。
もちろん最後のそれは、食い意地というより生きるためという思いからのものだったけど。
起き上がることが困難になると、手鏡で仰向けのまま枕元に置いた食事を確認。
介添の私に食べたいものを指示しながら食べた。
途中から白米の代わりに出された素麺。
私が箸でひと巻きする本数は日を追うごとに少なくなり、やがて一本になった。
はじめは喜んで三分の一食べていたカップのみぞれ氷も、やがてスプーンで何匙、ついにひと匙。
最後はその一雫を口に落とすのみに。
父の身体が何も必要としなくなってゆく様をずっと見てきたわけだけど、
食べたいだけ食べないと人は死なないのかもなと思った。
死んじゃったら食べられないし。
当たり前だけど。
命は縮めたかもしれないけど、
食べたいものをきっと食べたいだけ食べた父。
とにかく食べたい人は、それを我慢して長生きしても意味ないのかもな。
そんな父の書棚から見つけた「買ってはいけない」という本。
父‥こんな本を買う以前の問題だよ、あなたは。笑
そして検索したらこんな画像を見つけました。
もうワケがわかりません。
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