京都の話
小学生の頃から異常なくらいに京都と京阪での通学、一人暮らしに憧れがあった。
生まれも地元もずっと大阪の上の方で
京都には1時間くらいですんなり行ける距離
なのに異常に好きだった
大学受験は絶対京都しか受けないって決めてたし
当時めちゃくちゃ仲が悪かったお姉ちゃんとも離れたくて一人暮らしを心で決めていた
私は本当に単純なやつなので尊敬してた憧れの塾の先生が通うという理由だけで龍谷大学と京都外大を受けた。
志望学科は中学生の時からなりたかったラジオDJへの道に必要なものは語彙力と綺麗な日本語だと思い日本語学科。
結果的に第1志望の龍谷は圧倒的に偏差値が足りなくて不合格。第2志望の京都外大は日本語学科が定員割れしていて、猛烈に眠気が襲ってきて得意で頼み綱のリスニングをまるっと眠ってしまったのにも関わらずほぼ最低点で合格した。
中学~高3の途中まで通っていた塾の先生に報告に行くとえらくびっくりされて(外大も落ちると思われてた)
「応募者全員大サービスだね!」って言われて
塾内がさすがにひどい冗談だってざわつくも
めちゃくちゃツボに入って私だけ爆笑したのを覚えてる。
4月に入学し、毎日JRと京阪と阪急を駆使して通う。
ずっと憧れてたバスケ部のマネージャーになる。
バイトもしてたから毎日ほんとに死にそうな顔をしてたのでさすがに一人暮らしを決意し両親を説得して9月に一人暮らしを開始。
ほんとにダメなやつで絵に書いたような大学生活を送る。
バイト×3、部活、学校
部活とバイトが中心の生活になってしまい
もちろん授業にはついていけず…
定員割れで入学したものの、私以外の学生さんはほんとに優秀な人が多くてみんな実際の偏差値は私より20くらい上だったし真面目な子が多くてあまり馴染めず
どんどん足が遠のいて、部活内で不真面目だとか、よくわからない陰口を叩かれだして、
当時体育会本部なども部を代表して雑務を任されてた私はムカついて「男やねんから思っとることは直接言えよださいな」などと言いやってられんわとやめてしまう。
その後、部活を最優先していたので
あっさり何もやる気が無くなって
どうにもならなくなっていま思えばすごく笑えるし自分が悪いとこもたくさんあったなて反省もしてる。
親には本当に迷惑をかけたし、もう二度とこんな風に心配はかけないぞって思ってる。
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あれ???なんやこれ
なんの話やねん
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ざっと書いたものの、なんで私は異常に京都に憧れてたんやろ??
大学辞めた後もしばらく京都に住んでたし、今の仕事に就いたのも京都を経てないとしてなかったし、数少ない大学の友達は未だに仲良くしてくれるし
またいつか住めたら嬉しいけど
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なんで??
結局なんで京都に異常な執着心を持っていたのだろうか一生謎。え~!こわ!怖い!
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誰か教えてください。