ウソについて

わたしが知っているこの世のウソは、大きく分けて二つあります。

①誰のためにもならない無駄な嘘
②誰かを傷つけないための優しい嘘

①については滅びればいいと思っています。
本人だけで完結するものは、徹底的に自分の中に収めてほしい。周りを巻き込むんじゃねぇ。

おっと、口が悪くなりました。失礼失礼😌

②に関しては少しナイーブな話になるので、丁寧にいきます。

まず正直に言いましょう。
私はこのテの嘘は、わりと頻繁につきます。

あー!待って待って!!嫌いにならないでください😢

嘘といってもこのタイプ、ウソっぱち100%ではないのです。あくまで私の場合ですが。
体感としては「本音(本当のこと)」20~70%、「ウソまたは誇張」30~80%くらいのミックスです。

そして一番理解しておきたいことは、このタイプの嘘の根底にあるのは「思いやり」だということです。

そしてこのことに伴い、大切な前提があります。
それは「相手に嘘だとバレる可能性が極めて低い場合」または「バレたとしてもそれが思いやり故だと相手がきちんと理解できる場合」に限りつけるもの、ということです。

言い換えると「相手にその真偽を確かめる術がない」または「確かめた真実の方が残酷」という場合のみつける嘘ということになります。

「優しいウソ」というくらいなので、言われてみれば当然の話かもしれません。

と、ここまでが理屈の話。
以下は感情の話です。

とはいえ、「いくら思いやりから発せられるものだとしても嘘は嘘。そもそも嘘自体がキライ。」という人も少なくないでしょう。何を隠そう、私がその一人です。

理由は、自分の理解力と寛容さを低く見積もられているような気持ちになるからです。お前さんが本音を話したところで急に突き放したり、傷ついて立ち直れなくなるタマじゃねぇ、なめんな、とこういうワケですね。

私事すみません。共感されないのはわかっています。
戻ります。

でもやっぱり「優しいウソ」は存在した方がいいと思う、というのが私の結論です。
こう考えるに至った理由としては、「本当のことに耐え得る人間ばかりじゃないと知ったから」に他なりません。そしてその数は、きっと私が想像しているより遥かに多い。普段は聞き流せる人だって、状況によって、一見何ともなさそうな言葉が心に深く突き刺さってしまう場合もあるでしょう。

物事の基準は、強い者ではなく弱い者に合わせて定められるべき。

賛否あるとは思いますが、私の信条はこれです。
大は小を兼ねる、みたいなニュアンスです。

ここまでの話に加えて。
このウソについての考え方が合う人とは、比較的ストレスフリーな関係を築いていけるのではと思います。

まあ、この話題を出した段階ですでに「優しいウソ」をつかれていたら、もう為す術はないんですけどね!

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

次回「自己肯定感について」
お楽しみに🥰

愛しむわんこ🐶

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