最後の就学相談会(その6)

第六話《「所属の守り」「主体の贈りもの」》

《――養護学校を選ぶ親は、子どもの気持ちを分かってないって、そう思ってきたんでしょ?》

そう言われれば、私はうなずくしかない。康治も私も、その怖れとともに生きてきた。自分が癌になって分かったのは、8歳の怖れの方が圧倒的だったこと。あの時、分けられたままだったら、私はここにいない。その怖さは今も消えない。

《でもね、義務化からもう41年、その41年分の親が子どもを大事にしてこなかったと、本気で思ってるの?》

そう言われて、私は立ち止まる。そしてまた、声が聞こえる。

       □

この子は幼稚園も保育園も両手で数えきれないほど断られた。子どものための場所だと信じていた場所から、いくつも断られた。どこでも同じように首を傾げ、断られる。子どもの仕事を選んだ人が、この子だけ子どもじゃないように扱う。ここは子どものための場所じゃないの? この子は、子どもじゃないの? 

自分だけ居場所がない。この子にそんな思いをさせたくはない。この子は生まれた時からここにいた。いつも私の隣にいた。誰にもこの子をいないことになんかさせない。この子がここにいることを、守りたい。この子がさびしくないように。それくらい、私だって考えてる。

この子だって、この子の主人公なんだから。この子が願うこと、望むこと、あこがれることをかなえてあげたいと願う。3歳のこの子が願ったもの。「みんなと遊びたい」。口にはしなかったけど、3歳のこの子の一番の願いだった。たったそれだけのこの子の主人公の願いを、ほんの数分の面談で断られた。園を後にするとき、この子の背中には、子どもたちのにぎやかな声が響いていた。この子がこの世にいないかのように。

あのとき、私にはこの子の「居場所」も守れず、「主人公」も贈れなかった。だから、この子の居場所がなしにされないように。この子が主人公の人生、この子が主体として生きる出会いの物語を。

たとえ、言葉がなくて分かりづらくとも。表情が読めなくて分かりずらくても。パニックになって泣いて手に負えないと感じても。この子の心のなかの必死な思いは、この子のものだから。この子の感じるもの、表現するもの、自分を守ろうとする必死の思いを、どれもなしにされないように。

学校も教育もいらない子? そんな子はいない。

どうせ何も分からない? そんな子はいない。

この子は日々、新しい世界にであい、成長している。それを、なしにはさせない。親が守らなくて誰が守ってくれる? 誰が気づいてくれる? 

あの日、誰も気づかなかった。そうして、この子の思いはなしにされた。

6歳になったこの子の、主人公の願い。今度こそ、ちゃんと贈りたいに決まってるでしょ。あんな思いはさせずに、守りたいに決まってるでしょ。

この子が、一年生として歓迎されて、大事にされて、居ることが揺るがない場所。

ふつう学級は、そういう場所になっているの?

あなたは、本当にそこで子どもを守れるの?


(つづく)

次の就学相談会まであと7日。

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