今年の就学相談会(その3)
《たくさんの「だいじょうぶ」をくれた歩さんへ》
親は子どもに笑っていてほしい。だから、「いじめられますよ」と脅される場所に行かせたくはない。それに、教育委員会や校長の中にも意地悪な人がいるとか、嘘をつく人がいるなどとは思わない。まして「友だちはできません」「自己肯定感が持てません」、と聞けば不安にもなる。それでも、私たちの会を訪れる人がいる。その親の願いもまた、「子どもに笑っていてほしいから」だった。
「ふつう学級」の話を、一度も聞いたことがないと答える親は多い。「ふつう学級に行けるんですか?」「行ってもいいんですか?」と驚く人もいる。ふつう学級に行けることを、「夢のようです」という人もいた。会の終わりに、「罪悪感を持たなくていいと思えるようになりました」とも。
生まれてからずっと、保育園の仲間と育ってきた子どもの笑顔をみたくて、同じ学校へと願う親が、その願いに罪悪感を抱く場所。地域の小学校が、そんなふうに言われる場所で本当にいいんだろうか? そんなところで、幸せに育つ子どもがいるだろうか。
校長が「いじめられますよ」と6歳の子どもに宣言する場所。そして専門家や教育委員会が、口をそろえて、「そこでは子どもの力が伸びない、自己肯定感が持てない、自信をなくす、二次障害を起こす、友だちができない」と心配する場所。
そういわれている場所が、実は私たちにとって、もっとも子どもが笑っていた場所だった。
そういわれている場所が、実は、子どもたちが一番生き生きとつながれる場所だった。
正直でいられる場所。ありのままの自分をあきらめなくていい場所、「できない」ままでも自信をもてる場所だった。
「どっちがいいか」とか「どっちが正しいか」という問いは捨てた。この子が今いる場所を、どの子にも寂しい場所にはしない。子どもがどこにいても、つながりに咲く花を贈ることのできる大人でいるために。子どもがいる場所がどこであれ、そこが子どもの寄る辺となるように。
3時間あまりの相談会の間、ずっと黙ってお絵かきしていた女の子は、帰り際に母親に聞いた。
「いける? だいじょうぶ?」
その子を守る覚悟がなければ、相談会など開かない。同級生になる子どもたちへの信頼がなければ、その子に「大丈夫だよ」と言えない。出会った子どもたちの笑顔が、私たちに揺るぎない自信と覚悟を積み重ねてくれる。私にとって、それを支えてくれた一人が平本歩さんだった。
私たちは、助けたつもりの子どもたちに助けられ、守られてきた。そして、自分が子どものころに一番大切だったものを手放さず、大切なまま、子どもたちに贈り物として手渡すことができる。
(私たちの就学相談会をずっと支えてくれた平本歩さんへ感謝を込めて。
歩さん、ありがとうございました)。