最後の就学相談会(その5)
第五話 《一緒がいいならなぜ分けた》
康治と私の「8歳」にとって、友だちと夢とあこがれ「人生のすべて」は、ふつう学級にあった。
だから二人で人生をかけた。
二人が、最後の最後まで奪われまいと握りしめていたもの。
それを守るため、同じ怖れに縛り付けられた子を助けに行きたかった。
康治がいなくなって20年が過ぎ、残された私も60になった。
「ふつう学級」とは、8歳の子に人生のすべてをかけさせる動機になると知った。
康治は死ぬまでそうだった。私の人生も同じらしい。
■
そんなときに聞こえてきた声がある。
《「一緒がいいならなぜ分けた」。・・・それは分けられた子の痛みを表わす言葉だと思う。子どもにそんな思いをさせたい親はいないわよね。》
「だから一緒を守ろうよ」
《でも一緒だから、分けられたんでしょ? 保育園や小学校でみんなと過ごしてきたのに、途中で「分けられた」から、辛い思いをしたんでしょう?》
「だからそうさせないように」
《守れるの? 本当に?》
《分けられる子を本当に助けられるの? どれだけ時間がかかるの?》
《自分が分けられた後も、みんなは一緒に楽しそうにやっているのが、見える。どうして、自分だけ、そこにいられなかったのか。いつも一緒だったのにって。途中で分けられるなんて、自分だけなんて。理由も教えてはくれない。自分が悪いから? 障害だから? そうして、自分はだめな人間だと間違えてしまうこともあるでしょ。本当は一緒だったはずなのにって。》
「でも・・・」
《そんな思いをさせたくはない。だったら、初めから一緒じゃなくたっていいじゃない。途中で追い出されたり、捨てられないように、最初から、この子に確かな居場所を。障害があることは悪いことじゃない。障害があることは、恥ずかしいことじゃない。子どもにそう伝えたい。》
《だから、障害がある子が、ちゃんと認められて、歓迎されて、大事にされる場所を、この子に贈る。》
《そこでも友だちはできるでしょ。出会いはあるでしょ。この子が主人公の学びも出会いも、待っている。この子が寂しくないように? それくらい、私だって願っている。》
「でも・・・」
《――あなたは、養護学校を選ぶのは、子どもを大事にしていないって思ってきたんでしょう。子どもの気持ちを分からない親だって。子どもを守らない親だって、そう思ってきたんでしょう》
《でもね、あれから40年が過ぎて、40年分の大多数の親が、本当に子どもを大事にしてこなかったとでも思ってるの?》
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