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見えるけど見えないもの

定量的ってことと、定性的ってことを教室の中でも分けて考えておくといいなという感じがしています。もっと言えば、数値で測れるものと測れないものを見ておく必要がありますよねってことです。

定量的の一番分かりやすいのはテストの点数ですよね。よくSNSでも学級平均が◯点とか、全員◯点以上達成、みたいなものを目にします。定量的は、子どもたちにとっても分かりやすいし、自分自身の指導の成果としても見えやすいので上手に使っていくことが大事だなと感じています。

でも、教室のほとんどは、定性的で数値で測れないものだと感じています。
例えばAという教育手法があって、その成果として全員◯点以上を達成したことが挙げられていたとします。
そのとき、定量的に見えていることは「全員が◯点以上を達成した」ということのみなんですよね。他にも定量的に表せるであろう学級人数とか学年規模、問題数なんかも表されることが少ないです。
変な話「漢字テスト平均90点以上!」と謳いながら、学級人数が数名で問題数が5問みたいなことだってあるわけです。だから定量的なデータも、客観性が高いかと言われたら、どの程度どうやって示すかというところが重要になってきます。

でも個人的にもっともっと大事にしたいのは、定性的なものです。
先ほどと同様に、例えばAという教育手法があって、その成果として全員◯点以上を達成したことが挙げられていたとします。
でも、子どもたち一人ひとりのその手法の捉え方については全く違います。その手法が功を奏していた子どもももちろんいれば、すでにテストの点数を取れるような子どもだったということも考えられます。その教育手法を上手に扱えた子どもが複数人いたとしても、それでも一人一人の学びの容態は異なるはずです。

教室を定量的に見ることも大切ですが、数字にしてしまうことで捨てられるたくさんの情報があります。
学級経営や現場を考えるときには、この捨てられてしまうものに着目していくことで、一人ひとりの学びを見たりとか育ちを見たりとか、感じ方や考え方の変容に触れたりとかしていきたいなと思います。

そうした一つ一つの大変なことを面倒臭がらず続けていくことで、自分自身の視野も広がったり、伝える言葉に微妙な変化が出てきたりするのではないかと考えています。
この何が見えているか、何を気に留めるのかっていうところが、また難しいのですが、そのことは上手に表現できなそうなので、今日はこんなところでおしまい。

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