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『アーモンド』を読んで感じたこと

僕は、「ADHDとASDがある。」そう精神科医に診断を受けた。初めてそれを、知ったのは、大学3年生の時、当時、コロナで外出制限が引かれ、自宅に篭もることが多くなったこと、大学卒業後の進路を本格的に考え始めた頃に、ある日、自分の部屋から出れなくなった。そんな僕を見兼ねて、ママがメンタルクリニックに連れ出してくれた。脳波や簡単な質問を受けて、すぐに「お子さんは、発達障害の傾向があります」そう言われた。

そんな僕がこの『アーモンド』を読んで感じたことは、高校時代に「性善説」と「性悪説」を習ったことがある。

性善説と性悪説は、人間の本性について異なる考え方を示す中国の古典哲学の立場です。これらの思想は特に儒教思想において重要な位置を占めています。

性善説
性善説は、孟子(紀元前4世紀の儒学者)によって提唱されました。この説では、人間の本性はもともと善良であり、道徳的な行動をする傾向があるとされています。孟子は、人間は生まれつき「仁」「義」「礼」「智」という徳を持っており、適切な教育や環境があれば、これらの徳が育まれ、自然に善良な行動を取ると信じました。

性悪説
一方、性悪説は荀子(紀元前3世紀の儒学者)によって提唱されました。この説では、人間の本性はもともと利己的で、欲望に従いやすく、悪に傾く性質があるとされます。荀子は、人間が道徳的に正しい行動をするためには、外部からの厳しい教育や法による規制が必要であると主張しました。

違い
• 性善説は、人間が生まれつき善良であり、正しい環境があればその善性が育つと信じています。

• 性悪説は、人間が生まれつき利己的であり、教育や規制がなければ悪に走ると考えます。
この2つの説は、教育や社会の役割についての異なる見解を示すものでもあります。

chatgptより引用

僕は、これを読むまでは、性悪説が正しいと思っていた。みんな、利己的で我がものにする為なら、なんでもする、それが人間というものだ。
そう思っていた。
しかし、この本を読んで、性善説でもあるのか?と思った。冒頭でも書いた通り、僕は、ASDの傾向があり、人の気持ちを考えるのがとても苦手だ。だけど、主人公のユンジェと同じように、自分の大切な人や好きな人のためなら、全てを投げ打ってでも守り抜くと誓っている。でも、ゴニのように強くなることもできない。だから、たまに、自分の正義感が行動に移せないと自分はなんて弱い人間なんだ、と自分を卑下してしまうし、そんな自分を殺したくなる。
でも、今は、そんな自分でもいいのかな、そう思えるようになった。僕は、ママやパパから受けた愛情が深い分、人に対して優しさを出せるのかもしれない。

人間を人間にするのも、怪物にするのも愛だと思うようになった

p280 作者の言葉


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