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2024年まとめ

いやー、一年早かったねー、あっという間にもう大晦日よ

などという声が良く聞こえてきますが、個人的にはしっかり一年過ごした感があるのであまり共感はできないところであります。

特に百姓になってからというもの季節をしっかりと痛感させられるほど毎シーズンなんやかんやバタバタしていますので毎日の景色がカレンダーのようにめくられていくのです。

"季節を楽しむ余裕から、季節に追われる必死さ"になってしまったのは少し寂しいですが、たこ焼き屋でバイトしていた時に「毎日賄いでたこやきが食べられる」と思っていましたが時が経つにつれて「たこ焼き以外のものが食べたい」となって行くのと同じようなものだと運命を受け入れてそれなりに楽しんでおります。

さて、今年も病気をする事もなく健康で一年を締めくくれる事となりました。

年々とどっぷりお茶にハマっていっている事は間違いないですが、今年は「お茶と人をつなげる何か」に意識が向いた年でもありました。

作り手として"作る"という事にこだわるのは当然の事で追求すればするほどお客さんのニーズにハマりにくくなるというジレンマとの葛藤というものが出てくるものです[価格や提示したい価値]

昨年まではその葛藤も含めての表現だと熱を込めていましたが、今年はそこに少し違和感が出てきたように思います。

どうしても市場のニーズに相対してしまう部分はやはり避けられない事ですが、それは表面的な事で、"心が通じる"という根本的な事を忘れてしまいがちになってしまいます。

特にお茶なんてものは心を満たしたり心を通わせるツールでもあり、そして私が"お茶を作る"という表現を通して伝えたい事は心を肯定するという事でもあります。

"言葉"という最も実感に近い手段に頼ってしまうのはどこか矛盾していますが、それも寄り添う事であり、想像力であり優しさでもあります。

群馬の野菜農家の安田さんが「絵画にタイトルはいらない派なんです、絵が全て語っていると思います」というのはまさにそうなんですが、極論「最後は人だと思います」と言った思いに込められていたようになんだか絶妙な線なんです。

しかしそこには心があり、そこに人たらしめている部分があるんだなぁと思うのです。

なので出来るだけ心があるもので暮らしを満たしていきたいし、心があるものを提供していきたい。そんな思いを再確認した年の瀬でございます。

茶会の準備をする時にどんなにシュミレーションをしても繋がらなかった一本は、"間とか空気間とかでしか埋まらない何か"であり、その不安を毎回お客様に埋めて頂く事で"心が通じているんだな"と感じれるようになりました。

自分の茶会にはまだまだ可能性を感じています。

"お茶"をツールとしていますがその背景など直接お茶に関わらない部分からも何か人生に豊かさを提供できればと考えております。

来年も各地でやらせて頂ければと考えておりますので、是非あなたの街に行く時にはお待ちしております。

ざっくり年の瀬の挨拶でもと思いながら書き始めたのですが、堅っ苦しい話になってしまいました。

今年も大変お世話になりました。

皆様もお身体ご自愛ください、そして良いお年をお迎えくださいませ。

おっと、そうこうしてるうちに日が暮れてまいりました、あと5.6時間で2024年も終わりです、

いや〜しかし一年あっちゅうまでしたなぁ〜

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