a drop 茶会 episode 2
茶会前日、東京に到着して蔵前にある "a drop"に向かった。
蔵前駅を降りて3分ほどにある'ウグイスビル"の
2階の一室に"a drop"はあった。
いつも画面越しに見ていた光景だ。
こんなにも早くここに来るとは、それもカウンターに立つ事になるとはまるで思ってもみなかった。
早速、茶会の"2時間"の構成を伝えたが
煎茶一本、しかもまだ茶業歴も浅い私の構成にべったな氏は明らかに不安気な反応だった。
しかし俺が勝負しに来たのは珍しい茶やお茶の知識では無く、"表現者"としての茶の可能性、自分の理屈がようやく表現として腑に落ちた道のりをパッケージしたものだった。
ひたすら自分の感覚を信じて深めていけば行くほど孤独になっていった。それでも自分が求める表現がそこにあった。
今の自分がa dropでの茶会で勝負出来るものはそれだけだった。
「それしか無い」
人生で一番の崖っぷちでの勝負だった。
ここで勝負できなければただのヘタレだ。
べったな氏の想像を超えるものでなければ意味がない。
その日の情景をべったな氏は後にこう記している
私の思いにべったな氏も共鳴してくれた。あとはその場の空気とお客さんとの会話でなんとか対応出来る自信はあった。
「ジャズで行きましょう」
そう言って店を後にした。
そして茶会当日。
人生で生きてきてこれほどに終わる気のしない3日間はなかった。
4人のお客さんに2時間対面でお茶を淹れるなんてとても逃げ場はない。
一回目が始まった。
最初の20分ほどはべったな氏が八女鰐八の説明をしながら持ち前のストーリーテラーぶりを発揮して場を温めてくれているであろう事を控え室の小窓から見えるベッタナ氏表情から感じていた。
そしてひとしきり前置きが終わると俺を呼びにくる。
『あったまってます』
と、ニヤニヤしながら言ってきた。少し緊張が和らいだ、気がした。
ゲストライブのような構成だった。
カウンターに入ると一発目に20秒ほど黙り込んでお客さんの表情を順番にゆっくりと見た。
思っても無い行動をしていた。
「一旦この緊張感をあえて充分に味わってみました」
思っても無い事を口にしていた。
さてここから先どうするかな。
しかし俺もこれまで数々のステージをこなし、勝負どころでは強い自信があった。
茶会前から立川談志の落語で気持ちを高めていた。
準備していた"まくら"から一杯目の流れでなんとか雰囲気を作った。
しかし急須を持つ手は震えていた。
熱量と必死さだけがおそらくその場の空気を保たせていた。
一発目と言う事もあり時間配分も構成も瞬間、瞬間の閃き以外に頼るものがなかった。まさにジャズだった。
しかしそこUMB本線に出場した事もあるフリースタイルで鍛えた脳と18年の野球人生でストレート以外を一度も狙ったことがない判断力が支えてくれた
ひとしきり茶を淹れ終わった後に萎凋煎茶の粉茶と高菜で作るお茶漬けタイムがあった。
その時間になると後ろで険しい顔をして見ていたべったな氏もニコニコしながらカウンターに入ってくる。そして2人で謎の掛け合いで場の空気が和む。
毎回その時間だけが楽しかった。
そして会が終わる毎にべったなさんが茶の淹れ手としてのアドバイスをくれた。
「お茶を淹れるときは説明をやめて所作をもっと見せて下さい。そこでみんなの意識を茶を淹れる所作に集めてその間に頭の中を整理して下さい」
これは今でも意識している事でさすがだなと思った。急須を持つ手も震えなくなった。
そうこうして会を重ねる毎に少し余裕と構成が見えてきた。
最後のお茶漬け用の米は俺が茶会をしている後ろでべったな氏が小さい釜で固形燃料で炊く構成だったのだが、後半には時間では無く、どの話をし始めたら火をつけると言う事がわかる程に息が合っていた。
お客さんからも"感動した"と言うメッセージを頂いたり、涙を流してくれた方もいた。
お茶の味の表現も"グレープフルーツのような苦味"など面白い意見を頂いて、さらなる茶の表現の自由度も確認できた。
毎回始まる前には緊張して、後半のお茶漬けで少し余裕が出て、また次の会が始まるとあの小窓からべったな氏の表情を見てはとてつもなく緊張していた。
会によっては控室に呼びに来る時に
「めちゃくちゃやりずらいと思います」
などと言って来る会もあった。
そんな地獄と天国を行ったり来たりする体に悪い三日間でとてつもなく成長させて頂いた。
いつも宿泊していた場所から蔵前までの駅までの道のりに「ちゃんこ」と書いてある看板があったのだが、なぜかいつもそれが「ちんこ」に見えて、会に向かう朝にはその「ちんこ」と読んでしまう自分が腹立たしくなって、その日の会が終わった帰りにその看板の「ちんこ」を見ると何故か嬉しくなると言う謎のルーティンまで出来ていた。
とにもかくにも本当に今の俺の茶の作り手、表現者としての全てをとてつもない勢いで磨いてくれた三日間だった。
「可能性を見せたい」そういうコンセプトで始まったa.dropの茶会だったが、べったな氏が
"見えない味"を感じてくれた事、大して珍しい茶も持たず、水出し茶の一杯でも出そうと言う余裕も無いぐらい直球勝負の茶会で涙を流して頂いた事はそのコンセプトを見せれたと思う。
真夏にクーラーも無く、室内にあるのはうちわと簡易扇風機。
立派なカウンター越し茶箱を積んだ椅子に座って向かい合う各会毎に全く空気感の違うお客さん。
カウンターの内側に押し込まれていたべったな氏が旅をして集めた茶葉。
説明に夢中になりすぎると湯を沸かす事を忘れてしまう保温機能がついていない鉄瓶の湯沸かし。
そして会話に夢中になりすぎると沸騰したお湯が勢いよくぶくぶく飛び散る鉄瓶の湯沸かし。
ゴミ箱に入り切らずに転がる麒麟の"自然が磨いた天然水"
控えめな音量で流れる自分のビート集。
茶渋が着きまくった茶器。
今思い出すとどれも美しい光景だが、何故かあの日々で真っ先に思い浮かぶのは
ウグイスビルの奥の薬品臭い小学校の手洗い場のようなところで茶会が終わった後の茶器をべったな氏と洗っている光景と臭いだ。
長渕剛は帰りたいけど帰れない、戻りたくても戻れない
だが
俺は出来ればあの場所に戻りたく無いけど戻ります。
また勝負しに戻ります。