#3 赤色と紺色のパスポート 2
大阪の公立高校が選んだ修学旅行の行き先は、オーストラリアの中でもサンゴ礁が有名なケアンズだった。実は三歳半で日本に来たことはまったく覚えておらず、小学三年生のときに家族で上海に行った記憶もずいぶんと薄れている。私にとって、これがほぼ初めての海外旅行といえる。
最初の関門は、関西国際空港での出国審査だった。私は窓口に着くまで絶対にパスポートを見られないように集中した。窓口ではうしろに並ぶ人たちから見えないように身体でパスポートを隠すように立ち、審査台ではサッと素早くそれを出した。変な体勢になっていて別の意味で怪しまれていたかもしれないけれど、なんとか無事にクリアできた。
現地の空港では、第二の関門である入国審査が待ち受けていた。日本では考えられない笑顔の審査官にドキマギしながらも、私はオレンジ色の入国許可証が貼られたパスポートを出す。ここでは全員が外国人という身分で、私とみんなの間に違いはない。出国の時よりも堂々としている自分がいた。みんなと同じゲートをくぐり、入国審査も事なきを得た。カバンの中にパスポートの存在を感じながらも「しばらくこいつを使うことはないだろう」と、ほっと胸をなでおろした。
滞在中は現地の中学生や高校生と交流する時間があった。人生で初めて見るブロンド髪の学生たちは、黒髪の自分たちよりも少し大人に見えた。真夏のオーストラリアの青空に映える深い緑色のシャツを見ながら「そっか。制服って他の国にもあるんだ」と思った。何より「How old are you?」と聞かれて、十七歳だと答えた幼い顔のかおりんに対する女の子の驚いた顔が忘れられない。
アボリジニーの文化を体験をし、カンガルーやワニの肉を人生で初めて食べた。お肉の味はあまり覚えていないが、美味しかった記憶はない。
白いサンゴ礁とその周りを泳ぐ魚たちがくっきり見えるくらい透き通ったエメラルドグリーンの海でシュノーケリングをした。泳げないなりに必死に足ヒレをバタつかせて、初めての海の中を楽しんだ。履き慣れていないショートパンツの長さを気にしながら、同級生たちと砂浜で写真を撮った。キラキラと光る水面は、未来への希望で満ち溢れる高校生たちの心を表すようだった。
修学旅行といっても授業の一環ということで、英語で現地の人たちに話しかけるチャレンジもあった。私は自転車をこぐ爽やかなお兄さんにドキドキしながら話しかけて、記念のツーショットを撮ってもらった。がんばって話して言葉が通じたうれしさは今でも忘れられない。このときの体験が、英語で外国の人と交流する憧れを強めたのかもしれない。
現地のスーパーで食料を買って、自分たちでご飯を作る日があった。日本では見たこともない広い売り場に、色とりどりの野菜やフルーツが並ぶ店内で私たちは困惑した。英語がわからなくて商品の説明を読めないのだ。この状況に一役を買ってみたくなった私は、いつもは眠らせているリーダーシップを発揮してホワイトソースに見えるルーを選び、シチューもどきを作ってみた。しょっぱすぎてまったく美味しくなかったけど、「なにこれ、まっず!!」と言いながらもゲラゲラ笑ってみんなと食べた。
ほかの生徒たちにはただただ楽しい時間の中でも、頭の片隅にはずっといつパスポートを見られて中国人だとバレるか不安な自分がいた。温かくて穏やかなこの国の写真に映る自分は、ぜんぶ笑顔がこわばっているように見えた。
結局、旅行のあいだはパスポートを使うことはなく、同級生に見られることもなかった。オーストラリアの甘いお菓子、ティムタムを大量に詰め込んだスーツケースたちを載せて、飛行機は関西国際空港に到着した。
「なんとかなった。あとは家に帰るだけだ」
ずっと強ばっていた身体からふうっと力を抜いたその瞬間、目の前に現れた入国審査のゲートを見て、
「終わった」
そう思った。
そこにはまるでラスボスのように「日本人」と「外国人」と書かれた審査レーンが立ちはだかっていた。
パスポートを見られないように工夫することはできても、ここまではっきりと通り道を分けられてはどうやっても隠しきれない。私の目の前は真っ暗になった。ドクドク波打つ心臓の音が聞こえ、ブワッと血液が駆けめぐり身体が急に熱くなった。そして、頭の中では「ミズノー! アウトー!」と叫ぶ声が響いていた。
「せっかくここまで隠し通したのに。どうやってみんなに説明しよう」
私は光の速さで頭をぐるぐるさせながら、いろいろな言い訳を考え始めた。次々と日本人レーンに並ぶ同級生に見つからないように平然を装い、私は外国人のレーンに向かった。列に立つ私は、まるで処刑を待つ罪人のようだった。時間が速く進んでいるのか、ゆっくりと流れているのか、感じる余裕もなかった。誰かひとりでも同じ制服の人がいないかうしろをチラッと見たが、そこには誰もいない。
「同じ中学の高橋くんも家族が中国人だと聞いてたけど、日本国籍だったんだ」
「お母さんが南米のどこかの国出身だと聞いたエリナも日本人なんだ。」
勝手に同類だと思っていた人たちに裏切られたような気持ちがした。この学年で「外国人」なのは私ひとりなんだと思い知らされた。
入国審査が終わり、私は握りしめた赤色のパスポートをカバンに乱暴に押し込んだ。そのまま何ごともなかったように、水色の襟が目立つセーラー服を着た同級生たちの元へ駆け込んだ。すぐにでも他の人たちに馴染み、ひとり違う方向から戻ってきた私にどうか誰も気づかないでと祈った。
楽しそうにお喋りをするクラスメイトたちが片手に持ったままの紺色のパスポートは、何のうしろめたさもなく堂々と輝いていた。私の赤いパスポートは、カバンの底で誰にも見えないように気配を消し、息を潜めて佇んでいた。それはまるで「中国人」であることを必死に隠し、なるべく目立たないように生きてきた私のようだった。