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『同行二人』の境地で人を見極め伴走する行政書士|ともりん119

わもん創始者「やぶ三」こと薮原秀樹さんは、わもんの道を深める私たちに対して「現場重視」とことあるごとに声をかけます。やぶ三を追いかけて時間を費やすのではなく、各人の現場で周囲の役に立って欲しいというのがわもんの共通見解です。

やぶ三の現場重視の思いもあり、わもんの仲間の中にはプロフェッショナルとして人のお役に立っている方が多くいます。今回取材させて頂いた「ともりん119」こと粂智仁さんもそのおひとりです。ご自身のペースでわもんの自己修養を深めながら、行政書士として現場でお役に立たれています。

筆者も行政書士の方とご縁がありますが、主に許認可業務に携わる人が多いです。ともりん119は相続や遺言を中心に活動されてられる点では珍しい行政書士です。そんなともりん119がどのような人生を歩んできたのか、わもんとどうやってであったのか、お話を伺いました。

決して良好な関係とはいえない家族の中で育った幼少期

神奈川県茅ケ崎市で鮮魚店を営む両親のもとに生まれたともりん119は、なぜか両親とではなく祖父母との接点が多い幼少期を過ごします。

「もともと祖父母が鮮魚店を営んでおり、両親はその支店を切り盛りしていました。私は通う学校の関係で、放課後は祖父母の家に行き食事をして自宅に帰る日々を過ごしていたんです」(ともりん119)

放課後に祖父母の家に行く生活は、しばらく続きます。

「とにかく母と祖父母の仲が悪かったんです。中学に進んでも祖父母の家には通っていたのですが、母からは『お前はババアのスパイか!』と言われたこともありました。父親の妹たちも同じ市に住んでいたこともあり、母には味方がいなかったんです。それも影響していたのかもしれません」(ともりん119)

ともりん119には弟がいらっしゃるのですが、彼は祖父母の家に行くことはなく、両親の家にいることが多かったそうです。

「大人になるまで両親は弟の方がかわいいんだと思っていました。後からわかったんですが、弟は母がいないと父と話せなかったみたいです。一昨年に母が亡くなったことで、わかったんですが弟は父に顔を見せにはなかなかこないですね」(ともりん119)

祖父母の家で出される晩御飯は、ご飯と余り物のマグロだけで味噌汁も出ない環境だったそうです。食べたくないと嫌がると「嫌なら食うな」と言われる環境でともりん119は育てられたのでした。

成年後見人として、さまざまな家庭を支援してこられたともりん119ですが、もし仲の良い家庭で育っていたら、感情移入しすぎる後見人になっていたかもしれないと筆者は考えました。

このような幼少期の経験があるからこそ、どんな環境にある場合でも冷静に後見人としての仕事が全うできるのではないかと思う次第です。

人生の分岐点にはいつも「歌」が関わっていた

現在、地元の中学校の同窓会会長をしているというともりん119。学校時代の良い記憶があるから引き受けたのかと思いきや、そんなことはありませんでした。

「中学生になっても物心がついていなくて、学校や友だち関係の記憶がありません。授業中の映像も記憶に残っていないんですよね。定期テストの理科で0点を取ったのは覚えていて、勉強していないのは覚えているんですけどね」(ともりん119)

一方で、プロダクションに子役として所属をしていたともりん119は、学校では演劇部に入るも浮いた存在になってしまったそうです。

「毎週、新宿まで出てレッスンを受けていたので、学校の演劇部が物足りなかったんでしょうね。そんな時に学年主任の先生に声をかけられて、女子しかいない合唱部に入部することになったんです」(ともりん119)

この歌との出会いが、ともりん119の進路に影響を及ぼすのでした。

「市立高校に進むとなると、当時の学力では下から2番目の学校がいいところでした。その学校は校内をバイクが走り回っているような学校です。なぜか父から大学まである高校がいいのではないかと言われて、玉川学園に進みました」(ともりん119)

玉川学園は音楽寄りの学校で、入学式でも校歌を混声四部合唱するような環境です。音楽の授業が合唱だけで、ともりん119も合唱漬けの3年間を過ごします。毎年、音楽祭が開催され3年生になるとオーケストラ付きで合唱をしたそうですよ。また、クラシック音楽にはまったのもこの時期とのことです。

音楽の道から政治学や法律学、そして行政書士の道へ

政治学や法律学に関心を持ったともりん119は、國學院大學に進みます。

「劇団の先生や高校の先生からは音大の声楽科を勧められました。ただピアノが嫌いだったので音大は選ばず、それで國學院大學へと進むことになったんです。合唱は大学でも続けていました」(ともりん119)

大学では後半の2年間は特待生に認定され、首席で卒業を果たします。就職活動は、当時、バブルの後期だったので企業の待遇も良かったそうです。

「はがきを書いて企業に応募すると、各社からテレホンカードがもらえるような時代です。会社説明会に行けば車代として2,000円が支給されるのも当たり前でした。内定者をカナダ旅行に連れていく会社もありましたね」(ともりん119)

いくつか内定を獲得した会社のうち、ともりん119は地元の百貨店を選択します。

「その会社が超絶ブラックだったんです。最初の1年は楽しく働いていたのですが、2年目から外商に回されてしまって、地獄のような時間を過ごしました。年間数億の予算を押し付けられて、できないと答えると怒鳴られるような職場でした」(ともりん119)

ともりん119が勤めていた職場は、それまでにも不正を働いてクビになる人が何人もいたそうです。直属の上司だった人も、後にクビになっています。そんな職場から逃げるため、行政書士資格にチャレンジされるのでした。

「行政書士の資格を取ろうと思い、独学で勉強を始めました。結果、4年間で3回受験し合格することができました。26歳で行政書士の資格を取得したのですが、すぐには登録しませんでした。別の資格も取ろうと思い、塾講師の仕事をしながら勉強しようと思ったんですが、そちらは上手くいきませんでした」(ともりん119)

その後、三階建てのビルになっていた祖父母の鮮魚店で、空きテナントが出たため1999年に行政書士事務所を開所されます。ただ、この時は塾講師がメインの仕事で、行政書士は片手間だったそうですよ。

行政書士活動とわもんとの出会い

行政書士の仕事を最初に獲得したのは、開所後2年半が経った時だったそうです。

「許認可の仕事をやりたいと思って地元を回ったのですが、一件も受任できませんでした。そんな時に県の行政書士会で無料相談会を開催すると聞いて、応募しました。通常、3年以上の経験が求められるのですが、なぜか2年半でやらせてもらえたんですよね。そこから始めての受任につながり、仕事の依頼も増えていきました」(ともりん119)

成年後見の仕事にも関わってこられ、最盛期には同時に13件も受任されていたそうです。この時の経験もあり、現時点で計5冊の書籍を出版されています。

「行政書士の成年後見の全国組織が立ち上がり、研修や講演に呼ばれるようになりました。これまで400件ほどに関わり、研修相談委員長の役割にもついていました。全国組織の総務部長も数年携わっていましたね」(ともりん119)

ただこの時に、ともりん119の心を折るような出来事が起こります。信頼している人に裏切られてしまったのです。

「そんな時にFacebookを見ていると、速読教室の体験イベントを見つけます。速読教室に通うようになり、講師の紹介もあって所謂自己啓発系の講座やセミナーに参加するようになりました」(ともりん119)

ともりん119が参加したセミナーや講演は、聞く人が聞けば「知っている!」と思う人ばかりです。その一環で、ともりん119はやぶ三と出会います。

「コラボセミナーで、やぶ三とは初めて出会いました。その時は少し会話をしただけだったんですが、その後、白帯心徒塾、黒帯心徒塾に通いました」(ともりん119)

ただ最初に行った黒帯心徒塾に参加して、練習嫌いのともりん119は一時足が遠のくことになるのでした。

なぜか長続きしているやぶ三との縁

ある日、ともりん119がライブ配信を見ていると、やぶ三から話しかけられます。

「黒帯の五段になって欲しいと言われて、はいと答えてしまったんですよね。期限が決まっていたので、韓国にも行って段位を進めました」(ともりん119)

行政書士の仕事にしても、自己啓発系の集まりにしても、自分が納得しなければ距離を置くともりん119が、なぜわもんは長続きしているのかを聞いてみました。

「やぶ三は求めたり、求められたりがなくてニュートラルなんですよね。だから会い続けられるんだと思います」(ともりん119)

確かにやぶ三は、相手の心の奥底にあるものを重視する人であり、自分が思うようにコントロールすることはありません。自分の思考を「完全沈黙」させて相手の話を聞くので、ともりん119のような方にとって素直に話ができる数少ない人なのかもしれませんね。

「動物占いではクロヒョウで孤高、、トップに立つ人間だと言われるのですが、自分ではそうは思っていません。目標や目的を決めて行動しているわけでもなく、夢と聞かれてもよく分からないんですよね。逆にそれがあるから色んな人と出会えているのかもしれません」(ともりん119)

今回、ともりん119のお話を聞かせていただき、私が感じたイメージは古代中国の軍師でした。周の建国に一役を買った太公望・呂尚や、漢の建国を支えた張良が思い浮かんだのです。

いずれも国のトップに立とうという意思はなく、トップにつくべき人を見極めてその人を支えたような人です。だからさまざまな指導者と出会い、違うと思えばその人から離れるという決断をしてきたのでしょうね。

今後もトップに立つべき人と出会い、その人を支える重要な人として活躍されるでしょう。ともりん119のお眼鏡にかなう人はどんな人なのか、そちらも楽しみです。

一番、私が衝撃を受けたのが、孤高の参謀という部分です。だからかと。孤高の参謀だから過去いろいろな出来事があったのだなぁと。

つまり、孤高の参謀というのは「志を持った参謀である」という風に私は受け取り、受け止めました。

とするならば、今後も「志ある孤高の参謀」でありながらこの世の職業としては行政書士をやっていく。そうすることで、自らの生まれたきた意味、それに則って、ともりん119には大活躍をしていただきたいですし、また、していただきける方だとこのようの思っております。

ともりん119、今後ともよろしくお願いいたします。


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