深川の旦那
変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、 変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、 そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。 God grant me the serenity to accept the things I cannot change, the courage to change the things I can; and the wisdom to know the difference.
素敵な一日を過ごしているや、否や。
「元気ならそれでいい…」なんて、安っぽいドラマのセリフのような、不思議な安堵感と焦燥感。
秘かに買っておいたプレゼントを、子供たちが寝静まったのを見計らって、そろそろと取り出す。。。 そんなイベントからも解放された。 寂しくも、心置きなく呑めるから、と杯を重ねる聖なる夜。
つい最近までお元気だったのに。 人の世の儚さを噛み締めずにはいられない。 穏やかな風景を見ながら、散らかった意識を静めていく。
他人の気持ちはコントロールできない、だから自分が出来ることに集中しよう。そんな自己啓発本の受け売りをいくら自分に言いきかせたって、他人の振る舞いに一喜一憂する日々。 空を見上げ、あんな風にまん丸(カドの無い)な気持ちでいたい、と思いつつ、あいつだって他人(太陽)のせいで満ちたり、欠けたりしている。自分自身は、まん丸なのに。
妻に付き添って訪れた深夜の病院。そこは意外にも、いや予想通りの、にぎやかなWonderland。 酔って転倒して頭を打ち、氷水の入ったビニール袋を額に当てながらやってきた青年。一見して堅気でなないと分かる(鮮やかな腕模様の)男と寄り添う女。ちょっとしたことで大騒ぎする(勝ってな想像)老女とその娘と思われる不機嫌な主婦。心配性な両親に連れられてきた不満げな男の子。 妄想を膨らませながら、時は過ぎていく。 その間にも、救急車から運びこまれる担架。しばしばドラマの題材にもなる、
やっと、ここに来ることが。 失ったものを見ることで、自身の中にそれが生き続けていることを実感する不思議な感覚。
カクテル光線の下で躍動する選手たち。 映画にしても、スポーツ観戦にしても、そのものを楽しむことよりも、好きな人と同じものを見つめ、同じ時間を共有していることが心地よい。 子供たちは、あとどれくらいこうして付き合ってくれるだろうかと、横顔を見てふと想う。
今週見つけた名言 『結婚前には両目を大きく開いて見よ。 結婚してからは片目を閉じよ』 最近結婚した後輩に、なとど思っていたけれど、まずは自ら実践すべし。
人形町にある小さなビル。以前から気になっていて、意を決して開けた扉の向こうには、静かに盃を傾ける人達。そこは、カウンターだけの小さな店。 女将さん曰く、「4人以上だと、うるさくなるので断るんです」 壁一面には、数え切れないJAZZのCD。何かお好きな曲は、と言われて「ピアノが好きで…ビル・エヴァンスはありますか」 聴こえてきたのは、シェリーマンがドラムの渋い1枚。 隅田川の心地よい風に吹かれながらの帰り道、新進気鋭の14歳が使った、話題の言葉を思い出す。 たとえ、29連勝し
「仕事がつらい?、もっとつらい仕事をしている人は他にいっぱいいるよ」 かつては、そんな事を言ったり、言われたり。 不安、恐れ、怒り、哀しみ、妬み……負の感情は、他人と比較するものではなく、それぞれがどう受け入れ、どう向き合い、どう折り合いを付けていくか。そんな当たり前のことに気付くまでに随分と時間が掛かってしまった。 海老蔵さんに比べれば、私の不安など一笑に付す程度のものだと理解しつつも、放っておけば少しずつ膨れ上がる不安を見つめながら、こうして文字や言葉でちらしつつ、静かに
この病気と闘っている全ての人とその家族に想う。 この病気は、本人と家族にとって、ずっと付き合うことになる、厄介な居候である。ずっと、あるいは一生、大人しくしているかもしれない。居なくなることもあるが、居なくなったかどうかは分からない。 不幸を呪っても仕方がない。家族が結束する機会を与えてくれた、と前向きに捉えて進んで行きたい。 仕事も酒も、日常は毎日やってくる。