#560 共感から創造の時代へ
「やりすぎるのはよくない」と昔からよく言われます。でも、僕は最近、むしろ「やりすぎること」にこそ価値が生まれてくる時代になったと感じています。なぜなら、普通のことをやっているだけではありとあらゆる情報に埋もれてしまうからです。
たとえば、飲食業界。料理は美味しいのが当たり前になりつつありますし、サービスが丁寧なのも標準になってきています。そんな中で「やりすぎる」ことが、新たな価値を生む鍵になっていくんじゃないかと思うんです。
#共感から創造へ
やりすぎた結果、生まれるもの
ここ数年、話題になる飲食店の多くは、何かしら「やりすぎています」。
「そこまでやるの?」という驚きやエンタメ要素が加わることで、話題になり、人が集まります。SNSで拡散されることで、さらに多くの人が興味を持ちます。結果として、お店のブランド価値が上がり、集客につながります。
一方で、「やりすぎ」が必ずしもポジティブな方向だけに働くわけではありません。たとえば、接客が極端に悪い飲食店が話題になることもあります。スタッフが無愛想すぎる、注文をぞんざいに扱う、極端にルールが厳しいなど、普通では考えられない接客スタイルが逆に「ウリ」になることもあります。こうしたお店は「本当にそんな接客なのか?」という興味を引き、結果として集客につながる場合もあります。
しかし、目立つことが良いこととは限りません。話題になることを目的にしすぎると、質の低下や持続可能性のないビジネスモデルになってしまうこともあります。大切なのは、やりすぎることの中に本質的な価値を見出し、それを長く続けられるかどうかです。
飲食店に限らず、あらゆる業界で「やりすぎ」が注目を集める時代です。たとえば、ファッションでは1点物の超奇抜なデザインが人気を集めますし、エンタメ業界では現実離れした演出の舞台が話題になります。
#やりすぎた先にあるもの
普通のことをやるだけでは生き残れない
「美味しい料理を提供する」「心を込めた接客をする」というのは、もはや基本の話です。もちろん、それをおろそかにしてはなりませんが、ただそれだけでは埋もれてしまいます。
どれだけ努力していても、「どこかで見たようなもの」になってしまえば、人の記憶には残りません。だからこそ、「やりすぎる」くらいのインパクトを持たせることで、初めて人々の関心を引くことができます。
たとえば、あるレストランが「世界で一番やわらかいハンバーグ」を作ったとします。その柔らかさが尋常じゃないレベルに達していれば、「そんなに柔らかいの!?」「一度食べてみたい!」と話題になります。この時点で、他のハンバーグとは一線を画す存在になります。
つまり、「やりすぎる」ことによって、競争相手がいなくなるのです。
#突き抜ける
やりすぎることが創造につながる
生成AIが発達して、クリエイティブな作業が一般の人でも容易になりました。そうなると、ありきたりなものはどんどん自動化されていきます。
しかし、「やりすぎる」ことは、AIにはなかなかできません。AIは合理性や一般的なニーズに基づいて最適解を出しますが、「やりすぎ」はその枠を超えた発想です。
たとえば、「カレーを100時間煮込んだらどうなる?」というのは、普通のレシピにはない発想です。実際にやってみたら、ものすごくコクのあるカレーが生まれるかもしれませんし、さらに美味しくなくなるかもしれません。でも、この試行錯誤が新しい価値を生みます。
つまり、「やりすぎる」という行為そのものが、創造につながるのです。
#国民全員がクリエーター
これからの時代、やりすぎが武器になる
「普通であること」は安心感を与えますが、それだけでは人の心に残りません。
飲食業界でも、「やりすぎ」が求められるようになってきています。見た目がインパクト抜群の料理、ありえないほど手間をかけた一皿、サービスが驚くほど細かいお店……。こうしたものが話題になり、繁盛しています。
もちろん、やりすぎることにはリスクもあります。でも、リスクを取らなければ、新しい価値は生まれません。だからこそ、僕たちは「やりすぎる勇気」を持つべきなんじゃないかと思います。
これからの時代、やりすぎることが、新しいスタンダードになるかもしれません。
#スタンダード