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共感できない人・コト・モノの考え方
先日とある憲法学者の先生がX(旧Twitter)上で、
「共感できない対象」に対してどんな態度をとるか、こそが、成熟度だと思うんだよね。
ということをポストしていた。
その先生自身は度々X上で物議を醸すようなポストを繰り返しており、信用度が高いわけではないのだが、この発言について私はとても共感していた。
生きていると、なんとなく相入れないと思う人や好きになれないと思うコト・モノはあると思う。
しかし、学校や会社など様々な社会に溶け込むと、そういう人やコト・モノを受け入れざるを得ない場面が出てきてしまう。
子供のうちはNOを突きつけられたかもしれないが、大人になるとそうはいかない。
もし、
性格が合わない人が家族、同僚、上司だったら…
恋人の趣味が、自分が毛嫌いしているものだったら…
なんとか取り繕わなければならないのが世の常だ。
思い返してみると、私が過去に付き合っていた恋人の趣味が、私にとってはあまり受け入れられないものだったことがあった。
当時高校を卒業したばかりだった私は体裁を取り繕いはできるものの、自分自身の幼稚性をまだ隠しきれていない曖昧な時期だった。
それでも態度には出さなかった。そのモノが嫌いだと言ってしまえば彼女が悲しむことは考えればすぐわかることだったからだ。
それでは何をしたかというと、彼女の好きなものについて短所をあげつらい、会話のタネにしていた。
別になんてことはない会話のように思えた。おそらく私は無表情で言葉を発していたと思う。
だが、今考えれば悪手にも程がある。
それでも言葉にしてしまったのは、それ程付き合わされる私も苦労していたということなのだろう。
しかし、次の瞬間彼女は涙を湛えた目をこちらに向けていた。
そこには「理解してもらえない」という悲しみの他に「この人は私の好きなものを邪険にしている」という敵意さえ存在していた。
その後に二人が辿った道筋は推して知るべしというべきか。
こう振り返ってみると、全面的に私が悪いことは嫌というほど理解できる。
別に会話のタネなんて探せばいくらでも落ちているし、人の趣味に否定意見を述べるというのは、それこそ決裂を覚悟しての発言ということになるだろう。
それでも、自分を擁護できる部分があるとすれば、「どうしても共感できないものを彼女におすすめ(押し付けられる)される自分のメンタルを守るため」ということが挙げられるのではないか。
かと言って、数年経った今となってはもうちょっとやりようがあったとも思う。
もし、今同じ状況に陥るようなことがあれば、私はこういった反応をするだろう。
「今度色々教えてよ!!俺も好きな〇〇教えたいから教え合いっこしよう!」
少し幼稚に聞こえるかもしれないが、本心は隠しつつも主張はする。
バランスをとって決して相手が好きなものを卑下しない。
『成熟度』という言葉のイメージについては正直良いものが浮かばない。
それでも、
「共感できないものに対して無理に共感しようとして失敗し、否定的な言葉を口にするよりかは、ある程度共感できないものについて知り、その上で自分が好きなものを守っていく」
というのが共感できないものへの良い対応の仕方なのではないかと思った。