サウンドオンリー
つなぎっぱなしにしているボイスチャットのことも半分くらいわすれてぼーっとネットをみてた。
AM1:11、話すことがなんとなくおちついて、いつもだったらねよかーってなるんだけど、まだちょっと早いというか、少しものたりない感じ。なんか空気? があって、そう……だから、ネットで面白い記事とかあるかもってポチポチしてたらおもったより間があいてて。会話と会話の間隙っていうにはもう、ちょっと広い。静かの海、って感じ。
あ、なんか今の詩的っぽくない? って思って、意識をはっとしたときだった。
なにか、きこえる……。
かすかに、ヘッドホンの内側からわたしの耳へととどく。
電気信号に変換されてきたそれはとおく、彼女が空気をふるわせてうみだした……。
kyukiが、歌ってる。
わたしの心臓が跳ねていた。吐息すら漏らさないように口元に手をあててわたしは耳に集中した。
彼女のうみだした、音。
かすれて、とぎれても、またつぎのおとにつながって、うまれるリズム。
人の生きている世界。大気の存在するがゆえに、生まれたいのち。
この世にもし希望があるとするなら、それは音なんだとわたしは思った。
「おっ、この映画配信されてんじゃん。観よーっと」
音が、言葉にかわり、ぱちりと目がさめたようになったわたしは、おもわず「はぁん」と変な声をだしてしまった。なんかこう、冬の日にお布団にくるまってまどろんでいたらいきなり引き剥がされたみたいな感じ。
「え……。なに、ねてた?」
kyukiの戸惑ったような声に、
「いやいやそんなことないよ?」と急いで返す。
コミュ障のわたしだがkyuki相手に挙動不審なところを見せてしまいたくない……! けど、気持ちが現実に追いついていなかったせいで口がとまらない。
「おきてたし、き、きいてた。あの、キュキがっ、すごいきれいで、おとの、きらきらって……糸みたいなのがみえないけどみえて……」
「……」
「えっと……あっ、いや、なんでも、ない……」
「夢?」
「うう……」
「ふあ~~っ」とむこうでのびをする様子のkyuki。
「ねよかー」
「うん……」
それで、結局その日は、伝わらずじまいだった。
ううん、わたしのなかでもまだうまく言葉にできていなかった感覚。
なんだか胸の奥の方がぽかぽかして、へんな感覚のまま眠りについた。
夢のなかで、まだあの歌が聴こえていた。
そして目がさめたとき、わたしのなかでなにかが変わっていた。
春先のまだ肌寒い早朝。何故か風邪をひいたときみたいに汗をびっしょりかいていたわたしは汗で気持ちわるい布団のなかでじっと、そのことについて考えていた。
人と人が交わし合う言葉は、意味があるから、伝わって、理解できて、だから人と人は分かり合えるんだと思っていた。昨日、あのときまでは。
だけど、きっとそうじゃないんだ。
言葉……意味では分かり合えない。世界中どころか、小さな、たった数十人のクラスルームですら分かり合えなくて、つねに争いが絶えないのは、それが理由だったんだ。
わー! っと布団から跳ね起きて、汗に外気がひんやり触れて思いっきりくしゃみしながら、それでもわたしはにへらと笑った。
「……っていうこと、なん(だけど)……」(最後の方はフェードアウト)
その日の夜、わたしはぼそぼそとkyukiに語った。kyukiは「なんもわからん」と冷めた対応だった。わかってたけどわたしは喋るのが下手すぎる。
「だからえっとね、えっと……わたし、キュキが好き!」
「ほぁ?!」
「ってわかったんだけどね。その理由っていうのが……」
「いやストップストップ! 何を急に言いだすんだね君は」
「だ、だからその……あの、あぅ……」
わたしはチャット欄に昼間書いたテキストファイルを送付した。
「なんだこれ」
『静かの海と星の音』
しずかなうみにまどろむ
ゆめをみて
こどくないのちは
たわむれに
だけどせつじつにいとをたぐったんだ
そらのむこう
でんきしんごうにのって
いとのふるえとどいた
きれいな
それはただきれいなだけの
じゅんすいなおとだった
だからそう
いみなんてなくてよかったんだ
いつだって
ここはおとであふれてる
もしあなたにつたえることばがなくたって
わたしはここにいて
あなたのおとだけをみつけるから
つらなりおどる
ほしのおとは
わたしたちのきぼう
「……えーっと、うん」
約一分の沈黙を経て、kyukiが口をひらいた。
「これは、詩だな」
「あっ、はい」
「うん……」
PM22:23、二人のボイスチャット史上最高に気まずくなってしまった、けど。
なんだかわたしは、いつも上手くいかなかった言葉での会話もこの瞬間から、もっと伝えられるようになっていける気がしたのだった。
わたしはkyukiが好きだった。
不登校で、引きこもりのわたしの、たったひとりの友だち。
空の向こうのどこかにいる、顔も知らない友だち。
だけど、音だけでじゅうぶんだった。
わたしはkyukiがいつかまたふとしたときに、無意識に口ずさむだろう歌を聴くのが楽しみだった。