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夢を叶える階段

幼い頃、抱いた夢は叶う、
と信じていました。
やりたいことは、全部やれる
と思っていました。

成長していくに連れ、
もらえるプレゼントにも
やりたいことにも
上限がある、と知りました。

これが欲しいと願っても
サンタさんでさえ、
見つけきらなかった、
と代わりのプレゼントを
置いていきました。

あの子みたいになりたくて、
新体操や歌のレッスンを習いたくても、
私にはできない、と思い込んで
やりたいと言うことすら
拒んでいました。

自分は特別な才能はなく
人より体格が良く
女の子なのに声が低く
勉強が出来るわけでも
運動が得意なわけでも
ありませんでした。

母親は遅くまで働き
帰宅するといつも
祖母に背中をさすられ
嗚咽していました。

父は単身赴任で
ほとんど一緒にいた記憶がないけど、
たまにいるとプロレスを見て
姉が嫌だと泣きわめくのに
一向にチャンネルを
変えようとしませんでした。

父の転勤についていくことにして
父の実家から引っ越し、
4人暮らしが始まって
間もなく、
父と母の関係にヒビが入り
二年も持たずに
別居することになりました。

引っ越しの日も決まり、
転校することも
決まっていたにも関わらず、

小4の私には何の報告もなく、
ただ、そう決まったのだと
引っ越しの数週間前に
知らされたのでした。

おそらくその頃です。

私が母親を嫌いになり、
姉を嫌いになり、
離婚という決断をしたことを
許せないと思い始めたのは。

父に大きな借金があり、
別居しても毎日のように
取り立ての電話が
母親にかかってきていて。

そんな状況でも
まだ関係修復をせまる父に
泣きながら電話で
話をしていた母の姿を
未だに忘れられません。

でも、
私は母親が嫌いでした。

別居後の私の住まいは
母親の実家でした。

祖父母との反りが合わず、
早く家を出たいと
私はずっと望んでいました。

17才で付き合った彼氏の家に
毎日のように通い、
出来るだけ実家にいる時間を減らし、
なんの生活能力もない
ただの高校生だった私たちは
おままごとの延長のようなことを
7年ほど続けました。


結婚の話が出た頃には
私は社会人として
自由に生きていく楽しさを
知っていたので
家庭に入ってほしい
という彼の気持ちに答えることは
出来なかったんです。

実家に居場所がなく
母親も姉も嫌いで
祖父母とは反りが合わず
私の唯一の拠り所を
手放す事は恐怖でもありました。

それでも、
私にとって社会は優しく
居場所を見つけられると思えたので、

いつまでも
寄りかかる関係を続けていくのは
お互いのためではないと
別れを決意。

そこから私は
「強く生きる」と決めました。

実家にも戻ることにし
それまで嫌いで仕方なかった
母親とも祖父母とも
距離を詰めることにしました。

必要以上に仲よくなることは
なかったかもしれないけど、
それでも普通の会話や
お祝い事など当たり前の家族には
なれたと思っています。

なんだかんだ
苦労をかけていた母親には
やはり幸せになってほしい
という思いはあったので
将来、私が養う、と
密かに思っていました。

結婚は私の人生に
必要ないもの、と決めていたんです。

それでも、
母親の幸せを考えたときに
私が人並みに
結婚して家庭を持つこと、
孫の顔を見せることも
親孝行になるのかもしれない
と気持ちの変化があり、

30才を前に
結婚をすることにしました。

結婚相手は
過去の経験から
隠し事なく、
私が私らしく居られる相手
なんでもさらけ出せる人
と決めていたので、

妥協したわけでも
母親のために仕方なく
結婚したわけでもありません。

私が心から結婚したい
と思える相手を選びました。

子どもにも恵まれ、
もちろんすべてが
順風満帆という
わけではなかったものの、
それでも人並み以上の幸せは
叶えられていると思います。

家庭という場所に
居場所を見つけることが
出来たわけですが、
私が私らしく居られる
社会、には私の存在価値は
見いだせていなかった現状がありました。

もちろん夫も子どもも大好きだし、
家庭があることに幸せを感じているのは事実。
でも、それだけでは
私の本来の望みを叶えたとは
思えなかったんです。

だから、社会に存在する意味を
持たせたかったんだと思います。
私が家族以外の誰かからも
必要とされる存在になりたいと
望んだんだと思います。

ビジネスに挑戦しても
引き戻されることばかりで
ことごとく、
子どもや家庭を顧みないといけない状態が
訪れました。

それは家族からの言葉であったり
貧困生活であったり、
上手くいかない現実。

私は社会でも家庭でも
唯一無二の存在で在りたかったのに、
結局多くは望めないのか、
と諦めてしまいました。

家族がいるだけで幸せじゃない。
今この居場所で十分じゃない。

そんな風に思うようにして
社会には必要かどうかわからない
代わりがいくらでもいるような仕事を
しながら生きていくのか、
と思ったときに、

やはり私の望む人生は
私にしか出来ないことで
家族も私と関わる他人も
幸せにする生き方がいい。

という本当の想いを
消すことはできませんでした。

そうか、
私はこれまで30数年の人生で
たくさんの制限を経験して
勝手に幸せにも
上限があると思い込んでいたんだ
と気づかされました。

家族を愛しながら
社会に居場所を持つこと
私にしかできないことで
豊かになることは出来るのに

私が勝手にできないと
制限をかけていただけ
だったんです。

本当は家庭の中だけではなく
社会でも人の役にたち
価値のある人間になりたいんだ
という本音を叶えていくのは
それが、出来る
と強く信じていくしかないと
わかったんです。

私が20年近く前に
「強く生きる」と決めたのは
何も孤独に耐えながら
無理をして生きる、
ということではなく

幸せになること
豊かになることを諦めず、
守りたい人を守れるように
欲しいもの全部手に入れて
生きていく
という事だったんだと

今、思います。

人生の幸福に上限などないんです。
豊かさに限度などないんです。

自分が望みさえすれば
それは叶う。

ただ一気にエレベーターのように
とはいかないかもしれない。

でも今がどうであれ
階段をひとつひとつ上っているのは
確実なんですよ。

生まれて死ぬまで
立ち止まることはあっても
その階段を降りることはないんです。

限りなく高く
登りたいところまで
行くことが誰にでも出来るんです。

ここまで、と決めているのは
自分自身。

人生が終わるその瞬間まで
人はもっと豊かになれるし
幸せになれるし
楽しく居られるんです。


人生は行きたいところまで
限りなく行ける。


信じて進んだ人だけに
見える世界があるんです。

特別な何か、とか要らない。
ただ信じる強さがあれば
誰にだって夢は叶えられる。

今日もありがとう。


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