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「希望だけでは生きていけないが、希望なしでは生きる意味がない…!」”The Times of Harvey Milk”(1984)

1978年11月27日、SanFranciscoの市庁舎内で、GeorgeMoscone市長(1929年11月24日-1978年11月27日)とcitysupervisor市政委員のHarveyMilkが暗殺された。犯人はMilkと同じ市政委員だったDanWhiteで、数日前に委員を辞任したが、市長に復職を願い出ていた。ミルクの在職は1978年1月9日からのわずか11ヵ月だった。

[first lines]
Dianne Feinstein: As president of the board of supervisors, it's my duty to make this announcement. Both Mayor Moscone and Supervisor Harvey Milk have been shot and killed. The suspect is Supervisor Dan White.

IMDBから引用

ゲイで初めて公職についたハーヴィー・ミルクの死後6年で製作・公開されたドキュメンタリー映画「ハーヴェイ・ミルク」。1970年代のサンフランシスコを16ミリカメラで捉え、1980年代の関係者のインタビュー部分はビデオで撮影。いずれにせよ、当事者らしい生々しい語りを、今に与えてくれる。
米国公開が1984年。パンドラによる日本公開が1988年。おりしもエイズによる同性愛者・バッシングと嘲笑の嵐の中で忘れられた、まして同性愛が市民権を得ていなかった時代に作られた、秀逸な傑作のひとつ。

1970 年代ユダヤ系アメリカ人ハーヴェイ・ ミルクは、ゲイであることを黙っていたが、14歳のころにすでに自覚していた。様々な経歴を経て、サンフランシスコのカストロ通りで商才を発揮した頃から、ゲイの若者に希望を与えだす。社交的で弁の立つミルクは、何度もの落選を経て、1977年ついにゲイであることを公表したうえでサンフランシスコ市政委員に当選する。
ミルクは市政執行委員選挙に立候補したとき、「勝つことが目的ではなく、闘うこと自体に意義がある」と語った。その言葉通り、彼は連戦連敗を重ねても闘い続けることで彼の主張を 支持する人を増やしていったし、物心両面で彼を支える人たちが周囲に集まってきた。
自分の正論を世に問いたいから。問題提起をしたいから。それによって立ちふさがる壁に風穴を空けたいから。だから、負け戦とわかっていても闘い続けた。その積み重ねが実った結果を、映画冒頭30分でスピーディにしかし無駄なく語る。余所者のゲイ:ミルクと、地元っ子の元消防士:ホワイトが、当選当時は停滞したサンフランシスコ市政に風穴を空ける新人政治家として、肩を組んで、世に出た事実を。

すなわち、ゲイの権利を危うくする 「アニタ&ブリッグス」のゲイ反対派、教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする条例「品位と道徳提案 6 号」の圧力。警察によるゲイ・バー摘発のような目に分かりやすい暴力ではなく、詭弁・詐称・ありとあらゆる技を尽くした言葉の暴力、バッシング。「品位と道徳提案 6 号」を廃案に追い込むべく演説に駆け回る、水を得た魚そのもののミルク。他方で、これといってやるべきこともなく当選し(てしまっ)たのであろうホワイトは、政治家という仕事になじめず、暗黒面へと落ちていく。

コミュニティ・オーガナイザーとして多種多様な人種の住む地域で、住民が自分たちで問題を解決できるようサポートをするうちに、自然に政治に興味を持つようになり、やがて同じ価値観、同じ夢のために政治家の道を志し、見事立候補したのはバラク・オバマとおなじ。
オバマと異なるのは、ミルクの政治家人生がたった1年で終わらされた、という事実だろう。
ミルク自身の言葉の力もあって「品位と道徳提案 6 号」は廃案とされ、ゲイ・コミュニティの、直後に錯乱した(としか言いようがない)ダン・ホワイトの凶行が起こる。
(映画中では触れられていないが、ミルクの汚点といえる、応援を行っていた)人民寺院の集団自殺事件:サンフランシスコの信徒900名近くが犠牲となった同時期に起こり、1978年11月のサンフランシスコは、騒然とする。

「ミルク射殺」の事実に対して暴力が起こる…ことはなく。ミルクの葬儀の晩に自然発生したキャンドルライトによる追悼の通夜に何千人もが参加する。その景色は静かで、非常に和やかなもの。
オープンなレズビアンとして初めてサンフランシスコ州立大学に採用されたフェミニスト活動家Sally M. Gearhartはこう語る:

Sally M. Gearhart: It was one of the most eloquent expressions of a community's response to violence that I've ever seen, and I think that we as Lesbians and Gay men, and all the straight people who where marching with us that night - and there were thousands - I think we said it. I think we sent a message to the nation that night about what our immediate response was - not violence, but a certain respect for Harvey and a deep... a deep... regret and feeling of tragedy about it, because Moscone had been our friend as well.

IMDBからの引用


ホワイトの裁判が始まる。同性愛者をバケモノ視する異性愛者で占められた「陪審員の評決」は計画的殺意のない殺人で有罪、7年8ヶ月の禁固刑。
そして「ホワイト・ナイトの暴動」が起こってしまう…。

This video accompanies our previous post about Harvey Milk. The footage is of the White Night Riot at City Hall in 1979,...

Posted by San Francisco Historical Society on Monday, November 2, 2020

本ドキュメンタリー公開後の1985年に、仮釈放されたホワイトは自殺している、要はヘイトクライムでもなんでもなく、普通の人によって悲劇が起こったという事実が、銃社会アメリカの暗黒面をかえって意識させ、ますますこの映画の視聴後の感想を、やりきれないものとする。
映画は最後、しめやかに、ハーヴェイ・ミルクの肉声によって閉じられる。

[last lines]
Harvey Milk: I know that you cannot live on hope alone, but without it, life is not worth living. And You... And You... And You... Gotta give em hope. Thank You very much.

IMDBからの引用

本作がこんな時代に見る価値があるのは…当然だろう?

本記事の画像はCriterionから引用


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ドント・ウォーリー
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