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篠井英介、情熱の赤いバラを唄う。舞台「グローリアス!」観劇の記憶。
本作は音痴ながら熱狂的に人々に愛されたアメリカの女性”フローレンス・フォスター・ジェンキンズ”の実話の映画化「マダム・フローレンス!夢見る二人」のことは前に書いた。
同じ人物を題材にしたピーター・キルター作のロンドン・ウェストエンドの舞台「Glorious! (stage comedy) - Wikipedia」。
その日本公演版をなぜか2017年8月19日(土)にDDD青山クロスシアターで観劇している。
もちろん、映画と細部や台詞は違っても、史実を元にしてるとあって、細かいあらすじは同じ。我ながら飽きもせずよく観たものだ。そんなに「マダム・フローレンス!」に感動したのか。
ともあれ、その時の観劇記録をここに置いておく。配役は以下の通り。お客さんが殺到したわけが…分かるだろう?
篠井英介 フローレンス・フォスター・ジェンキンズ
人生の秋にさしかかった エキセントリックなアメリカ婦人
水田航生 コズメ・マクムーン
三十代初めのピアニスト
彩吹真央 ドロシー/マリア/ミセス・ヴェリンダ-・ジェッジ
ドロシー フローレンスの友人
マリア コック兼家政婦のメキシコ人
ミセス・ヴェリンダ-・ジェッジ 中年の終わりに近いアメリカ婦人
クラベリートス(スペインの民謡)を篠井英介演じるマダム・フローレンスが、真っ赤な情熱のドレスでカルメンのようにタップを踏み唄うところから、映画は始まる。これは映画にはなくて、なおかつ、お客様を劇中へと、ぐいと引き込む勘所。
残念ながら、この冒頭がピークで、以降の出来は、残念ながら映画と比べても、くらべなくても、厳しかった…というほかない。役作りと美術、両面において。
ファンシーな壁紙、貝殻のようなソファー、基本となる舞台はただ可愛いだけならまだしも、幕や場にかかわらず使いまわし。
これをマダムの家というならまだしも、(マダムが公演を行う)小ホールやましてカーネギー・ホールと見立てるには、厳しいところがあった。いっそ、ピアノとソファと扉と最小限の舞台装置だけに絞っておいたほうが良かっただろう。
舞台美術を使いまわすなら、まわすで、照明を使って工夫はできた。
カーネギー・ホールのシーンで例えるならば、舞台手前の電気を落として、舞台の奥に立つフローレンスとコズメの二者だけにスポットを当てる。そうすることで、観客にとっては、あたかも実際のマダムの公演を見ているような感覚を与える、といった風に。それがない。
所々スポットライトの使い方において「おっ」と思うところはあっても、いざミセスが歌いだすと、のっぺりとした照明が舞台の影を駆逐し、非現実的な感じを与えて、白けさせてくれるのだ。
役者についていえば、コズメを務める水田航生ひとりが厳しかった。
スティーヴン・フリアーズが監督を務めた映画と違って、原作の舞台はどうやら「自ら欲する芸術がまるで通じず、世間との戦いに疲れ果てたコズメとフローレンスが、同じ志を持つ者同士、惹かれあう」ところにミソがあったようなのだが、水田航生に生活臭がなく、疲れてもいず、つまりは、きれいすぎたのだ。三十を迎え疲れた男を演じるには、いささか不釣り合いに。
彩吹真央の一人三役は見事。篠井英介は女装が似合いすぎていたのだが、天使の歌声の再現がなかったのが、非常に残念だったところ。
結局のところ、旬のスターを使ったウエスト・エンドの直輸入である以上の価値はなく。指定席8,800円(税込)の割には物足りない出来の劇であった。
この劇のおかげで、以後、篠井英介に注目するようになったのだけが、最大の収穫。
作 ピーター・キルター
翻訳 芦沢みどり
演出 鈴木勝秀
出演 篠井英介 水田航生 彩吹真央
企画・製作 シーエイティプロデュース
制作協 力ミーアンドハーコーポレーション
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