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足を使う
コーチは、どんなときでも体幹がブレない。わが家へヘルパーとして来てから、一貫して体幹がブレない。もう十五年も経つというのに。
いつも、開始時刻の十分前にはチャイムを鳴らす。
体育会系らしい。
コーチの話によると、ヘルパーとして活動するのはぼくが三人目だったという。
それでも、どの人も四苦八苦する大便の介助や、着替えや、ベットから車いすへの乗り移りを大ベテランさんのようにこなした。
とにかく、下半身の安定感がそのコツのポイントのようだった。
コーチの凄いところの紹介を忘れていた。
元高校球児で、現役当時は全国制覇したチームと互角に渡りあい、プロ野球へ進んだ相手チームのエースからも、何本かのヒットを打ったことがあるらしい。
凄さはまだまだ序の口で、五十代に突入してからも百四十キロを超えるスピードボールを投げたり、予選前の壮行試合で後(のち)にプロ野球で大活躍する後輩からヒットを打ったりしたという。
「大学へ進学して伸びたからなぁ」と、穏やかな表情で話してくれた。
仕事が休みになると、母校や地元の社会人チームのサポートを続けている。
もちろん、わが家ではぼくや若いヘルパーから「コーチ」と呼ばれ、誰からも親しまれる存在だ。野球はもとより、AMラジオから車やバイクの話題まで引き出しも豊富にもっている。
笑顔になると「デカ顔のキューピーさん」に見えるのは、ぼくだけだろうか。
コーチが、いまでも大切にしている球児時代の監督の話をしてくれたことがあった。
「次のプレーをよんで動くヤツは、二流止まりになってしまうんや。一流になろうと思ったら、次の次を考えられるようにならなアカンのやぞ。野球にかぎらず、世の中へ出たら役に立つからな」
その場にいるはずもないぼくが、コーチから聴いた話を再現したので、多少は脚色が入っているかもしれない。
でも、確かにコーチは先の先をよんで動いている。
わが家は、玄関を入るとすぐに台所がある。
これも監督の教えどおり、予定時刻の十分前に動きはじめるコーチは、なによりも優先して冷蔵庫の中を確認する(もちろん、手洗いが一番だけれど)。
朝一番のヘルパーが来て、洗濯をお願いすることもあれば、着替えやトイレ介助のときもある。
でも、食事や水分補給の場合がけっこうな割合をしめるから、ぼくの部屋のカーテンを開ける前に「コーチ、腹減ったわぁ」とせかされても大丈夫なように、冷蔵庫の中の確認から始めるというわけだ。
しかも、空腹感はハンパなくても、面倒くさがりのぼくの寝起きを察して、具体的なおかずを伝えなくてもよいように、という配慮まで行き届いている。
若いヘルパーに、コーチの「先の先をよむ」話をしたことがあった。
すると、見事に彼の仕事ぶりが変わった。
いくつかの選択肢が考えられるときも、「これしかない」というときも、柔軟に対応できるように、準備を心がけてもらえる。ほんとうに助かる。
ところで、コーチの安定感を支える「足」の話をひとつ。
同性介護のわが家(家事以外は)には、若いヘルパーたちが活躍している。
若者たちだから「これはちょっとなぁ…?」という場面にであっても、目をつむることもよくある。
ただ、ひとつだけ「ぼくの家ではかまへんけどなぁ、ほかの家ではやめときやぁ」と、誰もいなくても小声で囁きたくなるマナーがある。
どうしても急いでいる場面になると、足で扇風機を操作したり、引き出しやドアの開け閉めをしてしまったりする。そんなところを目にしてしまうと、手抜きされているように見えたり、いいかげんな扱いをされていると錯覚したりしてしまう。
だから、「こういうポイントを押さえておいたら、丁寧なやさしいヘルパーさんやなぁって、ありがたい勘違いをしてもらえるでぇ」と、悪い顔でささやく。
「マニュアル」というと、どこか抵抗感を抱いてしまう。
でも、なにかのモノサシは、暮らしにも、社会にも、必要なのではないだろうか。
故意に相手を傷つけるような意図をもってはいけないけれど、すべてのモノサシに縛られるとしんどくなる。
寛容さと柔軟さを大切にして、暮らしていきたい。
ぼくも、コーチも岡田彰布さんの解説が大好きだ。元監督らしい玄人目線と、少年のような野球に対するまっすぐな気持ちが伝わってくる。
そろそろ、カーソルを止めて、ナイター中継に耳を傾けることにしよう。