真夏のデザート
背筋に電流が走った。
「わたし、お料理が趣味なんです」が口ぐせの家事ヘルパーさんに「冷やしトマトおでん」をリクエストして、食べたい気持ちをなだめながら、待ちにまった金曜日の夕ごはんだった。
「待ちにまった」理由は、食通ヘルパーのHくんが泊まる夜に語らいながら、ゆっくりと味わいたかったからだ。
(くどいけれど、コロナへの気配りは「食べる楽しみ」を半減させる)
古典的な三角食べで介助してくれるHくんが、真っ赤なトマトの艶やかな一切れを目の前に差しだしたのは、やや胃もたれぎみだった胸のあたりに重たい感触がひろがりはじめたころだった。
箸先のトマトをパクリと口に入れると、内臓に滞留していた澱みが一瞬のうちに消えていった。
冷気とほどよい甘みと酸味が口からあふれ出しそうになり、その驚きに呼応して、半開きだった目の焦点が無造作にかけられていた愛用のハンチングに凝縮された。
たまたま視野のど真ん中に薄汚れたハンチングがかけられていたけれど、いまごろ休日の息抜きに散歩した中学校のまわりの道端に咲いているだろう露草が牛乳ビンにでも挿されていたら、どんな心境になっていただろうか。
数日が経ち、思い起こしながら書き進めている。
ハンチングがどうとか、露草がどうとか、こねくり回して考えられるのは時間のイタズラのせいだろう。
トマトの半切れを三口で頬張った。
できるだけ汁がこぼれないように、心を落ちつけて頬張った。
ノドを通り、食道から胃袋へ落ちてゆくさまが、その冷たさで確かめられた。
満足だった。
トマトおでんをお願いするときに、みりんを多めにしてほしいと一言添えた。
思いどおりの味つけになった。
ぼくには、ひそかな期待があった。
うまくいけば、「夏のデザート」にならないだろうか…。
電動車いすで一〇分歩けば、産直野菜を仕入れている八百屋さんがある。
冷やしおでんのトマトは、その店で買った。ポタージュスープにするとおいしいひょうたん型のカボチャといっしょに。
味つけも絶妙だった。でも、素材も最高だった。
今年は「冷やしトマトの夏」になること間違いなしだ。
コロナ前、食通ヘルパーHくんとの夕食は、わが家でつくったおかずとHくんの買ってきたお惣菜を「ワケワケ」しながら、楽しくいただくのが恒例になっていた。
もちろん、ふたりで旨い店を食べ歩いた。
「ワケワケ」ができなくなったどころか、ワイワイと愉快な話題の中心に食卓が置かれることも気が引けるご時世になってしまった。
ほとんどのスポーツ中継を玄人目線のフリをしてテレビにかじりついていたはずのぼくが、東京オリンピックはラリーの連続がたまらない女子バレーさえ観る心持ちになれない。
今朝は女子マラソンが行われたのだろうか?
さあ、冷やしトマトと麦茶で「時間差乾杯」でもしようか。