ひとつの柱
たまたま友部正人さんのYouTubeを検索していたら、素人弾き語りのタイトルで、ある男性の胸から下の画像が高田渡さんなどの検索候補にまじって現れた。音楽関係にかぎると、プロとアマチュアではなにかが違う。そのなにかについては、ぼく自身が演奏をしたこともなく、カラオケさえニガテなので技術的な問題はよくわからない。
当然、声質の良しあしといった個人の好みに左右されるものでもなかった。
モニター画面の右端にならぶ検索候補の「素人弾き語り」に、ぼくの視線が何度か立ちどまった。
理由はふたつあって、ひとつはすべて顔がうつっていなかったこと、もうひとつは、選曲の幅広さと渋さだった。
すっかりハマったあとで、なぜ、顔を隠しているのか、すこしだけ気になった。
選曲のおもしろさも、半端ではなかった。キョンキョンから七十年代フォークに詳しい人でもそうは知らない田中研二まで幅の広さだけではなく、高田渡さんの「ものもらい」や「告別式」などを弾き語っている。
彼は伸びやかな声をあえて抑えながら、一つひとつの言葉を体外へ送りだす。
その間合いも心地よい。
「こんなこともあるんや」と、眠りにつくまで自動再生で流してもらった。
なぜ、はじめにこの話を書きたくなったのか、自分でも想いあたらない。
とにかく、本題に入る。
コロナを疑い家から出られなくなり、精神的に不安定になったり、長時間、電動車いすに乗れなくなったり、生活スタイルが大きくインドアへ移ってから一年以上が経った。
この間、コロナに関連してだけでも、あらためて問い返した内容は、自分自身の価値観から毎日の生活の中での人間関係まで、かなり広範囲におよぶ。
その中で、わりと打たれ強いと確信めいたものを持ちつづけていた内面の激しい揺らぎについて向きあうことは、寿命が尽きるまで生きなければならない現実を考えれば、対処方法だけでも見つけておきたかった。
ある朝、目が覚めるとひとつの絵のようなものが浮かんだ。
中央に縦軸があり、浮雲か布団綿みたいなモコモコの物体が左右に引っ張りあうイメージだ。さらに、その周囲を別のモコモコが包みこんでいる。
「あっ!」と、直感した。
コロナが身近な存在になって、ぼくを悩ませてきたのは、ひとつの問いに対してまるで正反対の考えかたがあり、どこまで深く掘りさげてもお互いが正解であり、不正解にしかならないことだった。
どちらの選択をしても、ぼくの生涯の範疇にほかならない。自分だけではなく、まわりの誰かの選択が暮らしに影響を与えたところで、そこからはみ出すはずがない。
一つひとつの例を挙げるとキリがないので触れなかったけれど、ほんとうにしんどかった。まわりの情報が気になった。
先はわからない。でも、すべてを息絶えるまでの範疇に入れてしまえば、どんなときも冷静になれるし、アタフタしたとしても、もうひとりの自分が「想定内」として見守っている。
情報に執着しすぎず、社会背景や発信者の意図に目をむけること。
その人の存在まで否定しないこと。
誰も攻撃しない。
コロナの対応に関しては、自分のスタンスをはっきりさせる。
ぼくのまわりには、二十代~三十代後半の子どもがいれば、息子のような人たちがヘルパーとして活躍している。
介護する側とされる側をこえて、一人ひとりとの関わりの中で、その奥深さを共有できればと思う。