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筑前煮のその後

 ぼくの描いたひそやかな悪あがきは、納得のいく残念な結果となった。
「食べることは生きること30」で書いたように、昨日の夕飯のメインは筑前煮だった。

 ぼくと同じように、ポジティブに毎日を過ごす一人ひとりが置き去りにしてきた情けなさを十人分ほど背負って生きている友人の訪問があった。
 だから、おおげさなリアクションはできなかったし、どちらかといえば、地味に、地味に、ソーシャルディスタンスに気配りをしつつ、世間話と仕事場のあれこれをまぜこぜにしながらの食事になってしまった。

 筑前煮の旨さを実感することなく還暦過ぎまで生きてきたぼくの悪あがきに、料理づくりの腕前とあわせて美食家のヘルパーさんが要望に応える「静かで熱い」夜だった。

 つまり、メニューとして筑前煮が本当に苦手なのか、確かめてみたくなったのだった。
 友人と話をしながら、ラジオのナイター中継に耳を傾けながら、そんなふりをしながら、ぼくは筑前煮が口へ運ばれるときを待っていた。

 「ごはんですよ」がたっぷり乗ったごはんをひと口、なすびの味噌炒めがひと口、じゃがいもとタマネギのお味噌汁がひと口つづいたあと、ついにそのときがやってきた。

 すこし分厚めに拍子切りされたゴボウとシイタケが、目の前に登場したのだった。
 口の中へ入った瞬間、ほどよいやわらかさと、うす味であっても素材の個性を活かしたトータル的なバランスのよさに、「やられた」という言葉が頭に浮かびかけた。

 ところが、まもなく手放しに感動できない何かが心の中にささくれ立ったような気がした。
すぐに飲みこまないで、軽く噛んだり、舌と上あごであそばせてみたりをくり返した。

 何度か味わってみて、納得してしまった。
 作り手の腕前やぼく自身の味つけの好みとは関係なく、筑前煮という料理が苦手だった。

 大阪へ出てきて、いつもぼくを唸らせつづけた今はなき大衆食堂でめぐりあった日替わり定食の小鉢に盛られた筑前煮は、ぼくの気持ちを動かしかけて、やっぱり留まらせてしまった。

 昨夜の筑前煮は、あの大衆食堂の記憶よりも、さらに心を揺り動かそうとしてくれた。

 肝心なことを書き忘れそうになった。
 
 結局、ぼくはシイタケとゴボウの風味の重なりが、あまり好きにはなれなかったのだった。
 シイタケもゴボウも、筑前煮には欠かせない食材だろう。
どちらを抜いても、成立しないのではないだろうか。
 ちなみに、どちらもかち合わなければ平気で食べられる。
ましてキンピラゴボウは大好物だし、巻きずしの具材で一番重要なものを挙げるとすれば、間髪入れずにシイタケと答える。ついでに、高野豆腐の炊き合わせにも欠かせない存在だ。

 もちろん、これまでと同じように、だれかにおすそ分けしてもらったり、偶然に定食の一品として出逢ったりすれば、笑顔で「ごちそうさま」までたどり着くことはできる。

 ただ、わが家の献立としてお願いすることはないだろう。
裏返せば、あれ以上の筑前煮はなかなか存在しないのかもしれない。

 ついでに、筑前煮につづいて、ヘルパーさんに風変わりなお願いを考えている。
 それは「四宝菜」だ。
 ぼくは「死ぬほど」と言っていいほど、うずら卵に目がない。
 昨日の昼ごはんも、うずら卵の食べたさのあまり、王将で揚げそばをテイクアウトしたうえに、なじみの天ぷら屋でうずら卵のフライの入った盛り合わせを買ってしまった。
 当然、食後の二~三時間は胸やけで四苦八苦してしまった。

 四宝菜とは、うずら卵が四~五個入っていて、あとはにんじんと白菜とキクラゲがあればいい。
 できれば、うずら卵を残しておいて、最後にまとめて頬張ってみたい。
 これは、すぐに実現できるだろう。

 しかし、キクラゲもなぜにあんなに旨いのだろう。
 いつか、どこかでゴタクを並べてみたい。

 最後の最後に、うずら卵に戻って一言。
 カタメにゆでたヤツを噛むときの食感が、なんといっても醍醐味に違いない。品よくやわらかめに仕上げてあると、すこしがっかりしてしまう。

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