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今朝の風景から①

 木曜日、訪問入浴をお願いしている朝だ。
 約束は十時到着で、朝の家事ヘルパーさんとお昼の若者たち(お昼のシフトを担当している人は、二十代後半~三十代前半にかけてのぼくにとっては息子みたいな世代のヘルパーさんが多い)との交代と重なる。
 朝の家事ヘルパーさんもほとんどが女性だし、訪問入浴の看護師さんも九分九厘がぼくにとっては「異性」になってしまう。

 同性介護でまわっているわが家のヘルパーさんたちのシフトの中で、朝の九時半~十時は女性の家事ヘルパーさんと過ごしている。
普段は三十分程度だから、トイレの調整は大した苦労ではない。
 ただ、訪問入浴の曜日だけは話が違ってくる。
 その日の段取りによっては、家事ヘルパーさんも終了時間ギリギリになることもあるし、十時からの息子たちも朝一番の介護を済ませてから急いで来る日も「たま」ではない。
 また、訪問入浴の人たちも似たような状況で、パズルのピースをはめ込むみたいにカツカツで動いているので、ムリをお願いすることも難しい。
 こんな背景があって、トイレの調整ぐらいは「大したことではない」ぼくが、ボケはじめているとはいっても、その経験を活かしてやりくりをしている。
 ということで、木曜日の朝は一時間あまり、トイレができない空白が生まれる。
といっても、急にもよおすわけではないから、よほど間が悪くても十五分ぐらいガマンすればよいことになる。
 訪問入浴の人たちが来ても、トイレ(オシッコ)がもよおしそうだったら、「待ってもらったら」という声が聞こえてきそうだ。
 でも、ぼくの不随意運動は体のすみずみまで臆病な意識に支配されているらしく、急ぐ状況に置かれると思いとは正反対の結果を導いてしまう。

 さて、今朝は定刻十分前に息子ヘルパーさんが来てくれて、みそ汁上手のおふくろヘルパーさんと交代になったので、なんと、ぼくにはめずらしく、それほどもよおしていないオシッコが意図的に出てくれた。
 普段は、コントロールの難しいぼくのまさに「珍事」だった。

 こんな日常のくり返しが人間臭くて、我ながら興味深い。
 日々の精神状態に左右されることなく、人間臭くありたいとぼくは想う。

 次回へつづく

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