カニが登場する生々しい夢の話
ぼくはストレッチャーを押してもらいながら、道の駅みたいな土産品のたくさん並んだ店内を見て歩いていた。
押していた人物は誰なのか、姿を現すことはなかった。
けっこう無造作に置かれた土産物の間を、横になったままのぼくを乗せたストレッチャーは、カッコよく文字に変換すれば「クイン、クイン」と若者がテンポよく歩くぐらいの速さで、コーナリングをくり返していた。
ぼくの顔の大きさ(二七センチ=ふつうのLサイズのマスクでは、ちょっとしゃべっただけでずれるから、ほんとうにメジャーで計ってから購入しなければならない)をはるかに凌ぐゆでガニが目にとまった。
ストレッチャーとゆでガニはほぼ同じ高さだったので、すべてを把握することは不可能だった。
それでも、甲羅がこんもりしていて、いかにもミソがいっぱい詰まっていることは想像できた。
レストランでカニちらしを食べる場面を短くはさんで、舞台は自宅へと展開する。
ぼくには自分の顔が見えないはずなのに、なぜか目の前の空間に二十歳前後の面長なすました表情が浮かんでいた。
おやじの存在は身近にあっても、姿どこらか、声も聞こえてはこなかった。ただ、なんとも言えない「圧」だけがそこにはあった。
ホームごたつの天板の上に、道の駅で買ったゆでガニが二杯、面倒くさそうな空気を漂わせながら皿に盛られていた。
ぼくの寝ているベッドの傍らには、中年から熟年へと向かいはじめているような女がパイプいすに座っていて、カニの足から身をはずしていた。
ぼくは、その女を「おかあさん」と呼び、早くカニをほおばりたいと、目で催促した。
気づいた彼女は、ぼくの気持ちを無視するように話しはじめた。
「前のおかあさんより、わたしのほうがずっと若くてキレイでしょ」
尖った口調に顔をそむけると、足もとの白い壁に痩せほそったおふくろの姿があった。
それは写真が映っているみたいだった。
幼いころ、高熱を出して嘔吐する直前に胃から湧いてくる酸っぱい液体を思い起させる憎悪の入り混じった淋しさだった。
それから、枕もとのへそくりを入れたポーチに視線が行くと、彼女は鋭く反応して、一つひとつの中身を確かめだした。
ぼくは必死に、その腕をつかんで「見んといて」と懇願した。
そこで、眼が覚める。
おやじとの関係は相当悪かったけれど、先に逝ってしまうまで、おふくろはずっと連れ添いつづけた。
だから、明けがたの夢は現実とかけ離れている。
しかも、最近はわりかし穏やかな毎日を過ごしているから、夢に思いあたるフシがない(カニは大好物だけれど、高価すぎて三口で食べきるぐらいの「ほぐし身」しか味わった記憶がない)。
こんなダークな夢をアップしたのは、中途半端なオチがあるからだ。
写真の映像のおふくろ以外で、唯一、夢に登場したおやじの再婚相手らしき女性が妙に気になって、記憶をたぐり寄せてみた。
すると、思いあたる人物がいたのだった。
それは、法学者で、日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんだった。
一時期、彼女はプロ野球のシーズンオフのラジオ番組のコメンテーターをしていて、さまざまなマイノリティーの人たちに対する視点に共感して、待ちどおしく愛聴していたことがあった。
なぜ、谷口さんがぼくの夢で、あまりうれしくはないであろう役回りを引き受けてくれたのだろうか。
ラジオで話しておられたラグビー選手だったおとうさんからの教え、「いつも弱いほうの人の立場で考えなさい」は、子どものころからのラグビーファンのぼくの心を揺さぶった。
夢は辻褄のあわないことばかりだ。