あまたろう
裏庭の山茶花は、雪の重みで傾いていた。
祖母が白いビニール紐で塀に結わいつけて、ようやく持ちこたえているかのようだった。
福知山の町中としてはめずらしく、何日間も薄暗い空が広がるばかりだった。
アーケード街の建てこんだ中の一軒だったぼくの家の裏庭を眺めているだけでは、北風の吹きざままで知ることはできなかったし、牡丹雪はわずかに揺れながら降りつづいていた。
多少の強弱はあっても、日の差す瞬間を見つけられない毎日だった。
「あまたろう」は家族みんなの真冬の大好物だった。
店がどこにあるのかも、ぼくは知らなかった。
書き進めるための便宜上、ひらがなにしてはみたものの、耳で訊くばかりでは本当の店の名前もわからなかった。
掘りごたつの布団から横になったままで背伸びするように、首をかしげて障子越しの裏庭の雪景色に食い入っているぼくに祖母が声をかけた。
「雪がたくさん積もってるけど、あまたろう買うてくるわ。やっちゃん、白がええか?黒がええか?」
足腰はしっかりしていても、かなりの体力を使ってでも、「あまたろう」には家族みんなで祖母の背中を押したくなる美味しさがあった。
「あまたろう」は、回転焼きという地方もあれば、東京では今川焼が一般的な呼び方のようだ。
福知山でも「あまたろう」はお店の名前で、総称としては太鼓焼きといっていたと思う。
ちなみに、祖母が「白がええか?黒がええか?」と訊いたのは、白あんか、普通のあんか、という意味だった。
祖母が帰ってきた。
お気に入りのベージュ色の肩掛けをとると、薄茶色の小さな紙袋を胸元からぼくの目の前に差しだした。
「今日は白が売りきれてたし、黒で勘弁してや」
そう言って、紙袋をほっぺたにあててくれた。
ぼくはちょっとほろ苦くて、クセのある味わいの白あん派だった。
noteへ投稿するほどの記憶ではない。
けれど、めずらしく降りつづいた雪以外は、平凡な一日の光景だったはずなのに、あまたろうは冬のおやつの定番だったのに、この午後の記憶だけはテレビドラマのワンシーンのように憶えている。
不思議でしかたがない。
あまりにありふれた投稿なので、ふとよぎったどうしようもなく恥ずかしくなるようなネタを一つ。
さっき、「不思議でしかたがない」と書いた。
実は、福知山には足立さん、芦田さん、塩見さんなどなどと並んで四方さんという名前によく出逢った。
「しかた」が重なっただけですが(なぜか、ここだけですます調)。