わたしとあなたとわたしたち
「どんなふうに介護されると、ラクなんですか?」
ぼくは当事者という看板を背負わされていて、いろんな場面でこんな問いかけをされることがある。
逆に、サポーター(ヘルパーさん)さんが手こずっていると、ぼくから話しかけるときもある。
「サポーターさんたちはぼくのことを気遣って、こんなことをしたら痛くないかとか、しんどくないかとか、心配してくれる。ほんでも、表情を読みとってくれたらわかるはずやし、穏やかな顔つきやと、大丈夫や思うてくれたらええわ」
語りだしたら止まらなくなるぼくは、さらに続ける。
「サポーターさんがな、ムリな体勢でやってると、いらん力が入るやんかぁ。そしたら、ぼくにも負担がかかることが多いんやわぁ」
これで終わると思ったら、大間違いでまだ先がある。
「結局な、ぼくの結論としては『自分の感覚を大切にしてほしい』んやぁ。それとな、『自分がされたらカナンことは、できるだけせんように気ぃつけてほしい』んやぁ。わかってくれるかなぁ…」
とても悲しい現実であっても、他人の感覚や気持ちになりきることはできない。
さて、ぼくのサポートに携わっている事業所では、地肌の拡がるエリアとサイズは違っていても、禿げた頭を気にしているのか、いないのか、定かではないベテランサポーターさんを核にして、古武術の身のこなしを応用した介護技術が取り入れられている。
いつも投稿の#にブチこんでいる「古武術介護」、ないしは「重力介護」というのがそれだ。
ここからは、古武術介護の提唱者岡田慎一郎さんのホームページから抜粋させていただきます。
「日本に古くから伝わってきた武術の身体の使い方や考え方を取り入れた、身体運用の改善と介護技術への応用の取り組みです。筋力に頼らない、質的な転換によって効率よい動きをめざすという特徴があります。」
両腕から肩甲骨にかけて張りをつくること、股関節を中心にして可動することなどが代表的な動きとしての特徴です。
さて、古武術介護でサポートを受けるぼくにとって、一番の利点は「圧」をほぼ感じないことではないだろうか。
ぼくの体は力を頼ってこられると、相手の動きに反発しようとしてしまう。
わが家のサポーターさんの中でも、名だたる使い手が介助すると、ベッドの上の移動や寝返りなどのとき、低反発クッションで支えられた感触が一瞬よぎる。
「すっ」と動かされると、言い換えてもいいかもしれない。
硬直は故意ではないにしても、意思と逆の動きとして現れてしまうことが多い。
「硬直したらアカン」の意識の中で、この技術を活かすと「硬直しない」というよりも「硬直できない」に近い感覚になる。
いずれにしても、ぼくにとってはリラックスしてサポートを受けられるから、これほどラクなことはない。
ただ、サポートを受けるすべての人にプラスかというと、そうでもないらしく、力が伝わらないから「頼りない」との声を耳にしたこともある。
むずかしい。
また、サポーターさんたちの中にも、すぐに会得できる人と吞みこみにくい人がいるらしい。
サポート技術を担当しているこの投稿でおなじみの永井くんは、「力のないサポーターさんほど、吞みこみが速いんです」と、ちいさな眼をパチパチさせながら話していた。
たしかに、わが家で一番の使い手のYくんは、小柄でキャシャなサポーターさんに違いない。
障害のある人だけではなく、お年寄りの割合も高くなる社会の流れの中で、負担をやわらげるための介護用品の開発は日進月歩の勢いになるだろう。
何を肯定するでもなく、何を否定するでもなく、その地域や社会資源などの状況によって、うまく組み合わせていけばいいと思う。
いずれにしても、家庭でも、施設でも、現場を支える基本は「人」ではないだろうか。
もうひとりの介護技術に詳しいサポーターのBさんは、「古武術介護のような力を使わない技術が世の中の常識になれば、高齢化社会を救う手立てになるかもしれないですねぇ」と、バンダナ頭をなでまわしていた。
介護にかぎらず、一人ひとりの暮らしと仕事に、充実と向上心といった個性にあわせた楽しさがプラスαされる社会であってほしいと思う。
楽しさも「百人百色」ではないだろうか。