言葉にできない
真夏の陽射しは痛いほどだった。
頭からダラダラと汗が流れて、容赦なく目に沁みる。
電動車いすに乗っていると鉄板に囲まれているようなものだから、半袖から出た腕はヘタをすればヤケドしてしまう。
Tシャツだけでなく、パンツ(下着)までびしょ濡れで、そのままオシッコをタレ流したとしても、どうでもいいほどだった。
気持ちはカラッポになって、コントローラーのレバーに触れる指先は、これまでの痛い目に遭った経験の積み上げだけで、障害物を避けているみたいだった。
道は舗装されていたけれど、ところどころ赤錆びていた。
何かに操られているようでもあったけれど、行く手がつづくかぎりは進むしかなかった。
はじめてこの道に出逢ったのは、大阪へ出てきてしばらくしてからだった。
お気に入りのラジオ番組で、大正区の平尾あたりの話がパーソナリティーの子どものころの思い出とともに、毎日のように登場して、ぼくの興味を強烈にそそったのだった。
あまりルートも確かめないで、難波からお日さんの位置を目安にして、行きあたりばったりに西へ向かったのが間違いだった。
半時間ほど走って川沿いへ出たまではよかった(というか、悪かった)。
さらに、ドツボにはまってしまったのは、川を右手に南下したことだった。
あの日も、お盆休みだった。
小さな造船所や倉庫の立ちならぶ風景を左手に見ながら、一時間近く走っただろうか。
炎天下に民家の一軒もないあの道を、出歩く人などいるはずがなかった。
出逢ったといえば、野良犬に追いかけられた。
あのときだけは、意識がいっぺんに息を吹き返した。
途中でらせん状になった高架橋はあったけれど、怖いもの知らずだったあのころのぼくも、電動車いすで渡るのは不可能だとすぐに判断できた。
結局、川沿いの道を離れ、大通りのガソリンスタンドで「渡し船」を教えてもらい、大正の地へたどり着くことができた。
その後、お盆休みになると、あの赤錆びた道を歩かないと(走るというよりも)、夏を実感できなくなってしまった。
何を満足しているのか、よくわからなかった。
鉄錆の匂いには惹かれたけれど、もっと身近に体感できる場所はいくらでもある。
あの閑散とした情景がたまらなかったのだろうか。
あのけだるさを満喫したかったのだろうか。
もっと心の奥底に、何かが眠っているような気がしてならない。
けれど、言葉に換えると、「何か」が失われるのかもしれない。
すべてを形にすれば、息苦しくなってしまうのではないだろうか。
あのころと比べると、ずいぶん体力も落ちてしまった。
リハビリで設定した三~四時間、電動車いすに乗れる体力が快復したとしても、炎天下のあの道を歩くことはしないだろう。
お盆休みに歩いたあの時間は、ぼくにとってこれからの生きてゆく支えのひとつになるのかもしれない。